「心配され過ぎても迷惑だ」

そう言われたことがある。

過剰な心配とは?

どこからがラインなのだろうか。

ひとつひとつの行動に逐一心配していたら、それは確かに過剰なのだろう。

だが、その人の心を傷付けるような出来事があるとして、そこを心配するのは‥。
それは過剰だろうか。

大切な人だからこそ見守る愛情もあるだろう。
しかしその人を守るためなら身を挺しても自分は行動を起こすだろう。

大切な人が必要の無い傷を負うのなら、代わりに自分がいくらでも負う。
どんな傷でもだ。
そのくらい大切なのだ。

もちろん必要な傷もあるだろう。

迷惑だろうか。

心配とは「お願い」されてするものではなく。
大切だから守りたくて湧き上がるものなのではないかと、そう思う。
相手のことを思う、それがなければ「心配」ではないようにも思う。
「心(こころ)を配(くばる)」とあるのだから。
「相手に自分の心(力)を与えている」そんな気がするのだ。
だから、「心配」をすることで、相手に不足している「力」を与えて元気になるように、無意識に行なっているのかもしれない。

自己犠牲だろうが、大切な人が元気になるのなら惜しみなくいくらでも与えてあげるのに‥。