自分は劣等感の塊だと、常々思う。

仕事においても、私生活においても。
自信に繋がるような、そんなことがあっても、
「自惚れるな、周りはそんなの当たり前に出来ているのだ」
そう打ち消す存在がいる。

つまりは、自己肯定感も低いということなのだ。

常日頃から気になることがあると納得のいくまで自己分析に掛かる。
「〜かも知れない」をいくつも並べ、比較をし掘り下げ自分なりの「答え」を出す。

それ故に、自分の能力の無さを充分解っている、つもりではある。
そして、やるべき「答え」も見える。
だが、「出来るかどうか」とはまた別物であり。
自分の能力に準じた行動が可能かどうか、というところで判断に至る。

すると、能力の狭さが見えてくるのだ。
「やるべき答え」は理想であり、
「出来るかどうか」は現実なのである。

何と限られた道なのか。

そこには「努力」が必須であり。

「努力」をすれば良いのだ、と安易に言うことも出来ないのが解ってもいる。

しかしながら今日はそれに打ち勝つ気持ちがあることを改めて実感した。
「面白い」
それが一番大事な気持ちなのだと。
単純明解そうで、やはりこれも簡単なものではない。

心の底から「面白い」と興味を持つことによる向き合い方は、自分の幅を大いに広げてくれるのだ。

「面白い」と思うこと、そこには濁りのない純粋な気持ちが在るということ。

それは自分自身で気付くことも大切なことだと思うのだが、第三者により更に強く意識させてもらえるものでもある。

仕事だったり、家庭の作業だったり、やり方や仕上がり方は人それぞれだが、「比較」が生まれるものでもある。
しかし「面白い」と思う心情には「比較」は必要無いと思うのだ。
「自分」が楽しむものだから。
「比べ」なくて良いのだから、「劣等感」を感じる要素が無いのだと。

自分の「劣等感」を少し救えた瞬間だった。
そうやって少しずつ自分に自信が持てるようになれたら良いなと、そう思う。