いつもの時間に

この場所で

「あの人」とすれ違えるのを知っていたから

だからお互い距離を空けてしまっていても
すれ違えれば
その姿が一目でも見れれば

それだけで心に空いた穴を埋める事が出来た。
しばらくの間は。

「その場所で会える」ということは「避けられてはいない」ということの可能性が残されているからだ。

もし
「嫌い」だったら。

「あの人」のことだ。
思考の中に入れることさえ嫌がるであろう。
自分とすれ違う可能性のあるその場所を避けるのは容易に推測できる。

会わないように、
考えないように、
自分の意識から外してしまうだろう。
その時は別の場所を使うだろう。

だからだ。

いつもの時間にその場所に行ってもすれ違えなかった。
間違いなくすれ違えるタイミングで行ったのにもかかわらず。
数日それが続いた。

冷静に考えて、なんて未練の残る行動なのだろうかと額に手を当てたくなるものなのだが、感情というものはなかなか厄介なもので。

何度もすれ違えなかった。
それが「あの人」からの意思なのではないかと頭を過ぎる。
分かっているだけに落ち込みも深い。
改めて「自分」を受け入れられないとの意思表示なのだろうから。

もう、この一回ですれ違えなかったら諦めるよう言われてるものだと受け止めよう、そう決めていた。
恐らくそれがけりをつけるきっかけになるだろう、そう思っていた。
しばらくすれ違っていなかったため、これで踏ん切りが着くのだろうと落胆と解放が混ざる感情をどこかで感じていたのかもしれない。

あまり考えずその場所へ向かう。
やっぱりいない、
「諦めろ」そう言われているようだった。
覚悟もしていた。自分の気持ちに。

そう思っていた矢先に
視界に入った一部で気付いた。
「あの人」がいた。

見間違いかもしれない。
でもなぜか「絶対」に「あの人」だ。
意識が強く反応する。

すれ違う時、それは「確信」に変わる。

「あの人」だった。
間違うはずがない。

すれ違う、その瞬間。
視線がこちらを向いた。
お互い平静を装いながら。
自分の全てを吸い込まれるような感覚だった。
強く熱く。強引に捕まれるような。
他の人では感じる事の無いもの。

「あの人」に会えたこと。
「あの人」がこの場所を変わらず使ってくれていたこと。
そして、
自分とすれ違うことを「分かって」いたこと。

一瞬の出来事だったが
それだけで満たされてしまったのだ。
握りつぶされるような切なさと、苦しさと。
「好き」でも「愛してる」でも言い表せない熱量の高い想いが自分を飲み込む。

「あの人」への想いは自分の成り立つ一部なのだと。
切り離すことも消し去ることも「自分」が在るためにはあり得ないことであり、居ることがごく自然なことなのだと。有りきの事柄なのだと。

「自分」が「自分」で在るために。

逢えないのに
望んではいけないのに
それでも溶けて無くならないこの想いは
優しく温かく熱を帯びるこの想いは

現実で伝えられないのなら
せめて夢の中で渡せたら
そう願いながら今日も眠りに落ちる。