「逢いたい」
「声を聴きたい」
「あの人の感情に触れたい」
そう思う気持ちが募る。
しかし、ふと思う。
「その気持ちは、本当に好きからくるものなのか」
「執着や思い込みではないのだろうか」
そう思うと怖くなるのだ。
自分の気持ちに自信が持てなくて。
もしかして、「好き」という気持ちから来る心の高揚が欲しくて無意識に縋っているだけなのではないか。
そんなことも頭を駆け巡る。
不安が襲う。
考えの原因を追ってしまう自分には余りにも大きな問題であり。
考えたところで明らかな答えが出ないことで考えが辞められるわけでもなく。
「あの人」との「約束」が無くなってしまった今、自分を支えているのは「あの人」との想い出の日々であり。
自立をしなければ。
今やるべき事に向かい合わなければ。
そう理解をしていても「想い」に呑まれそうになる。
いや‥
すでに呑まれているのだ。
「理性」の水面下で「感情」が渦を巻く。
表に出ている「理性」は果たして機能しているのだろうか。
「想い」が‥「欲望」が。
「自分」を目隠しするように覆い被さる。
「行動」の出来ない自分。
「あの人」に伝えられない想い。
真綿で首を絞められるような。
気付けば苦しみで「自分」が締め付けられているのだ。
声にならない叫びは誰にも届かない。
誰にも届いてもならないのだ。
いつまで「自分」が保てるだろうか。
それなのに、やはり「逢いたい」。
自分にとっての「光」だから。