『亭主元気で留守がいい』と昔のCMか何かのセリフにありましたが、
私も日々そう思っていたひとりでした。
単身赴任などない会社にダンナは勤務していたので、
出張にでも行ってくれない限りは毎日家に帰ってきます。
だからご主人が単身赴任をしている友人がとても羨ましく思えました。
そういった友人たちも、
「ダンナがいないって最高!!」
が、口グセ。
そして類は友を呼ぶのでしょうか?
私の周りにはご主人を嫌悪している友人がたくさんいます。
ダンナが気持ち悪い…
ダンナの布団にさえ触れない…
ダンナが帰ってくると思うと過呼吸を起こしそう…
でも、そう言われているご主人たちは皆さん堅実で高給取り。
浮いた話しひとつない真面目なご主人ばかりです。
もちろんモラハラもありません。
結婚記念日や奥さまの誕生日さえも忘れないような、
側から見れば模範的なご主人…
でも、友人たちはいずれ別居したい離婚したいと言っています。
隣の芝生は青く見えるだけで内情はいろいろあるのかもしれませんが、
ダンナにないがしろにされていた私から見たら贅沢にしか思えません。
ダンナが亡くなる1週間前…
私はそんなご主人に不満を持っている友人のひとりと飲みに行きました。
恒例のごとくダンナの悪口大会になってしまいテンションの上がった友人が酔った勢いもあり、
「ダンナなんか死ねばいいのに!
ウチは保険金いっぱいかけてるから死んでもらったほうが有り難いよ!」
そう言い始めました。
その言葉を聞いて、
「そーだ!そーだ!
ダンナが死んだってちっとも悲しくなんかないから死んじゃえばいいのに〜!」
と、私も一緒になって酔いに任せて言ってしまったのです。
でも…
その言葉を言い放った途端、
胸の中がチクリと痛みました。
私は決してダンナのことを死ぬほど嫌悪していたわけではないんだな…と、
その時初めて気づいたのです。
その1週間後にダンナが本当に亡くなってしまい、
私はなんてことを言ってしまったのだろう…と、
最低な自分を責めに責めました。
そんな最低なことを言ったからダンナは死んだのかもしれないと…
頭がおかしくなりそうでした。
亡骸のダンナと再会したときの『ごめんなさい』という懺悔のなかには、
こんな人として最低なエピソードもあったのです。
だからと言って今もダンナが生きていたら?
私はきっと答えが出せないまま、
ダンナと向き合えないままの日々を重ねていたと思います。
17年前に別居したくても出来なかった悔しさもあり、
ダンナと離れたい一心だった私は、
次女が3歳になると次女を保育園に預けて働き始めました。
いずれ子どもたちが巣立ってダンナとふたりっきりになる未来が、
どうしても思い描けなかったからです。
お金さえあれば『離婚』という結論だけでなく、
『別居』や『卒婚』という選択肢まで広げられます。
でも…
この17年間はダンナが転職を繰り返したため経済的にも厳しい17年間になってしまい、
私が働いたお金は全て生活費に消え、
『私の未来のためのお金』が貯まることはありませんでした。
振り返っての後悔ばかりになってしまいますが、
もし、あの時無理矢理にでも別居をしていれば、
お互いに距離を置くことで冷静に見つめ直すことも出来て、
ここまでダンナとの仲が拗れることにはならなかったかな?と、
そんなことも今になって考えます。
全ては『たられば』の話しなので考えても仕方ないことですよね。
ご主人を嫌悪している友人たちも、
私のダンナが亡くなったことで色々なことを考えたそうです。
人生は一瞬でいつ終わるかわからない…
でも、そんなことは身をもって体験するまではわからなくて当たり前です。
だから友人たちにも私と同じ後悔はして欲しくありません。