母から褒められる嬉しさから、田芹レシピに合う油揚げや塩昆布、摺ゴマ等を買うお金を預かってはそれを買って来て、田芹を材料に胡麻和えやお漬物を造っては貧しいながら夕餉の食卓をを整えたものです。





我が家はどうしても母子家庭でしたし、母は役場や民生委員から勧められる生活保護を「世間から子供達が後ろ指を指されたら可愛そうだから」と言って、頑なに給付申し込みするのを断り続けていました。

その頃は未だ遺族年金制度など無かった頃の事でしたから、母の遣り繰りは大変だったと思います。

それを子供ながらに解っていましたから、弟も私もボロ服を着てはいても「あれ欲しい」とか「これ欲しい」とか言ったことは全くありませんでした。