月寒とスイーツの歴史
前回の続きです。
何故北海道で、何故札幌で、何故月寒であんぱんなんか作ってるのか?
答えは、製造元のホームページにございました。
月寒のあんぱんは、元々は月寒に駐屯していた旧陸軍歩兵第25連隊内で菓子販売を行っていた大沼甚三郎が考案したそうです。
以下にその一部を引用させて頂きます。
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明治39年、この地に「大原屋本間商店」を開店し、連隊に日用品をはじめさまざまな物資を納めはじめた。店を創業したのは、本間与三郎若干17歳の時。
明治7年、東京芝日陰町の木村安兵衛が酒種酵母による「桜あんぱん」の製造に成功。翌年には、明治天皇にも献上され、銀座の名物として大ヒット。
これを噂で伝え聞いたのが、月寒の連隊内で菓子を販売していた仙台出身の大沼甚三郎。「あんぱん」とやらいうものを自分も作ってみようと、あれやこれや想像しながら、月餅のようなまんじゅうを作り上げた。
その製法を甚三郎から教わった本間与三郎は、その「あんぱん」を妻とともに一つ一つ手作りし、レンガの「トンネル窯」に炭を入れ、その上に鉄板をのせて下火と横火で焼き上げ、連隊に運んだ。この、ひとつ一銭の、黒砂糖でじっくりと煉ったこしあんがずっしり入った大ぶりのお菓子は、甘いものが貴重だった時代に、兵隊たちに大人気となった。
明治44年、第25連隊と住民が協力して月寒から平岸に抜ける道路を造る際、豊平町が軍に感謝を込めて毎日ひとりに5個のあんぱんを提供。あんぱんを頬ばりながら造られた道路は愛称を込めて「アンパン道路」と呼ばれ、昭和62年には記念碑も建てられた。
当時、連隊正門前の通りには7店ものあんぱん屋が軒を並べていたが、戦中戦後の混乱の中で次々と姿を消し、昭和22年、月寒地区だけでなく札幌の名物になっていた「月寒あんぱん」の製造を再開したのは「ほんま」ただ一軒だけ。」
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うーむ、なるほど。そういうことでしたか。大沼甚三郎、本間与三郎、木村安兵衛。若き起業家、パイオニア。かっこいいですね~。
ちなみに、木村安兵衛といえば、「キムラヤのパン」で有名な銀座木村屋総本店の創業者です。皆さんご存知のあのアンパンの木村屋です。
(次回に続く)