俳優ハ・ジウォン、演技力に奇皇后議論を寝かす! | つきおのブログ

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俳優ハ・ジウォンが最初に接した作品はドラマ「龍の涙」で端役を通じてからだった。
もちろん多くの人々に確かな記憶を残した作品は、1999年に放映された「学校2」で反抗的なイメージのチャン・セジン役を通じてからだ。

実際には「学校2」でハ・ジウォンは脚光を浴びた新人女優ではなかった。
当時「学校2」で一緒にデビューしたキム・ミニ、コ・ホギョン、イ・ヨウォン、チュ・ソヨン、その上映画の中で頭角を現したキム・ハヌル、チョン・ジヒョン、ソン・イェジンなどと比較してみると確かにスポットライトが少なかった。
マスコミからの評価も他​​の同年代の俳優たちに比べてスター性が低いと評価された。

確かに2000年代初頭ハ・ジウォンは低い評価を受けたが、2014年現在どんな女優たちよりも高い位置にある。
今の女優の中でハ・ジウォンと比較して映画興行やドラマの視聴率、その上演技力まで一緒に比べることができる同時代の女優はいくつかの指に数えるほどその数が少ない。

ハ・ジウォンがこのように認められる俳優になるのに最も心強い支えは、まさに演技への情熱だった。
ほぼ同時期にデビューした女優の中でハ・ジウォンと似たようなフィルモグラフィーを持つ女優がほとんどないほど、毎年休まずに作品活動を続けてきた。

特に2000年代初頭から後半まで女優の場合、神秘主義的な熱風が吹いた。
このような熱風はトップスター級女優たちの場合、ある作品がうまくいけば数年の間CFだけで自身のイメージを強固にすることが多かった。
しかし、ハ・ジウォンはいくつかの作品で大ヒットが出てもCFスターに安住しなかった。
絶えず作品活動を続けてきたのだ。

このようなハ・ジウォンがドラマのタイトルロールを引き受けながら序盤の最大の批判を受けた作品は「奇皇后」であった。
ドラマ序盤から始まった歴史歪曲というヨークから逃れることができなかったのだ。
もしドラマでハ・ジウォンがまともにキャラクターを確立してできなければ、ドラマが進むにつれてより大きな批判に直面する可能性が高かった。

特にドラマ「奇皇后」の場合、ハ・ジウォンがタイトルロールを務めているので、ドラマの歴史歪曲批判が起こった場合、最も大きな打撃を受けざるをえない人も彼女だった。
しかしドラマが末尾に向かって行くこの時点で、ハ・ジウォンが演技した奇皇后について歴史歪曲というヨークは、ある程度外れているようだ。

このようにハ・ジウォンがドラマ序盤部に全身で耐えなければならなかった歴史歪曲との批判をある程度逃れることができたのは、やはりキャラクターを作っていく演技力にあったと見ても過言ではないようだ。
特に作家が適切に奇皇后キャラクターをつかむことができない状況でも、視聴者たちになぜそのような状況でそのようなことをするしかなかったのか、正当性を十分に伝達してくれる演技を見せて視聴者たちに吸引力を高めてくれたのだ。

特にドラマ後半までハ・ジウォンと一緒に劇の中心を導いて行ったユンチョル役のチャン・グクファンと張り詰めた対立を作り出した演技力は十分賞賛に値する。
もし演技力が後押しされていない俳優だったらチョン・グクファンの演技に完全に陥没してドラマの主客が転倒される可能性のある状況が広がっただろう。

しかし、ハ・ジウォンはずば抜けた演技力を見せてくれたチョン・グクファンと対抗しても、自分のキャラクターを完璧に守った。
そのうえ自分と一緒にヨンチョルの専横に対抗する皇帝タファンのチ・チャンウクも視聴者たちの目に移るようにしてくれた。

何よりも最も顕著なのは、まさに奇皇后キャラクターを平面的な人物にとどまらせず複合的でありながら、様々な心理を持った人物として再創造し出した部分である。
ヨンチョルへの復讐に没頭する姿を見せながらも、女として愛する人の恋心も十分に生かしてくれた。

その上、無能が人間的な面貌を見せてくれる皇帝タファンのハ・ジウォンの心理的な変化は、二人の話に十分な正当性を付与しながら、劇に楽しさを増した部分でもある。

これからドラマ「奇皇后」がどのような話の展開を見せるのかはわからないが、序盤ドラマの懸念いっぱいの視線をある程度磨いていくことにしただけでも、ハ・ジウォンの演技力は十分に認められるに値する。