刺された言葉は忘れない。
取り返しのつかない言葉、心を引き裂くような言い草、どれも僕は嫌になるくらいよく覚えている。

吐いた言葉はなくならない。
相手に届かずその辺に落ちていてくれたら、どんなに幸せなことか。
だって、一つ残らず僕には刺さったままだ。
鋭利な刃物で劈かれたように、ガラスの破片を肉体に浴びたみたいに、そしてそれらは思い出したように流血する。

……。



僕の誕生日があった。
6月19日だ。
友達は笑顔で祝ってくれる。
所詮他人だから、別に祝われなくても忘れられていても、それほど傷ついたりしない。
僕が傷つくのは、いつだって僕を産んでくれた両親、血の繋がった兄弟、僕の帰る場所で起こる様々な悲しみだ。


今年の誕生日も僕は帰りが遅かった。
もう僕の誕生日なんて終わろうとしていた。
晩飯を作る元気もない、でも今日は僕が生まれた日だから、家族で簡単に外食するくらいはきっと許される。
僕のそんな期待を踏みにじるのはいつだって父だ。
ちょっと前までは弟がそうだった。
母は心配そうに申し訳なさそうに僕に寄り添う。

僕の誕生日はいつもなんでもない中途半端な日付だから、祝うのは必然的に後の休日になる。
それでも、当日におめでとうくらいは言って欲しい。
どこかに出かけられなくても、僕の誕生日を自覚させて欲しい。

『お前の誕生日なんてことは分かり切っている』
『今何時だと思ってんだ』
『はあ?』

たったこれだけの言葉に、僕がどれだけ傷ついたと思いますか?
そう、たったこれだけの言葉に、僕がどれだけ。

いつもそうです。
僕の誕生日は、家族にとって煩わしいのかなあなんて、部屋に駆け込んでずっと泣いています。
若いです。
誕生日に酷い態度をとられたくらいで、この世の終わりみたいに胸を苦しくさせました。
でも僕がこんなに傷つくのは、これが初めてじゃないからです。
いつもいつもいつも、特別だと言いたいそのたった一日に、一年間で最も僕に傷がつく。

僕が健気なだけ。
もう、諦めればいいのに、期待なんかしなきゃいいのに、だって言葉を氷の礫みたいに投げつけてくるんだから、僕なんか鈍臭いからそれをまともに食らってんだ、やり返す気もないけど、ただ黙りこくっていても、僕がそうしているわけを全然考えようとしないんだ、どれだけ相手を傷つけているかなんて想像しようともしないんだ、……。

ああ、神様、悪魔、天国のおじいちゃん、いつまでも幼くて示しがつかない。
控えめに言っても、愛されたいみたい。
狂ったように悲しみに朽ちた後は、僕は決まって美しい雪野原にいる。
何もかも真っ白な空白の心地だ。
傷ついて傷ついて怒りと憎しみと物悲しさに打ちひしがれた後、真っ黒な焼死体は辺り一面の雪景色にほっぽり出される。
熱を持ちすぎた火傷が凍死するまで、不思議なくらい穏やかな時に包まれるんだ。
思い出してまた泣いたりはしない。
でも、確実に大切な何かを炭にしてしまっている。

僕がこんな気持ちを幾度となく味わうということは、未来から少しずつ幸福を奪っているのと同じだ。
多額の借金で、実はもう先がないかもしれない。
これだけ家族にトラウマがあっては、僕が幸せな家庭を築こうと思う方がキチガイだ。
気狂いだけど唾を吐きたくなるようなことばかりじゃない。
不幸だけが毎日を作れるはずがない。
些細な喜びや小さな幸せの方が圧倒的に多いから、ふとした悲しみに弱いのです。


ハッピーバースデー。
誕生日もまともに祝えない子供達がいるなら、僕は幸せだということになる。

幸せは人と比べるものじゃない。
無論悲しみや苦しみも。
自分が自分としてもがき苦しめるのなら、僕は僕個人として恵まれているだろう。

苦しいことばかりを数えてとっておきたくはない。
与えられた恩恵に感謝すべきなんだ。
人がいつも思うことは『ありがとう』だけでいい。
誰かを想う気持ちだけを素直に持ち続けていられればいいのに。
そう思うけれど、それが本当に美しいかは分からない。

ハッピーバースデー。
綺麗な思い出になって、それから霞んでいって欲しいよ。
過去になれば全て美化できると思ったら大間違いだけど、いくらでも記憶を書き換えようと悶えることはできるから。
胸の蟠りをどうか清められる強さを。

ハッピーバースデー。
僕に流れる血も流れて切り離された血液も、グロテスクなほど青く澄んで、うん、誕生と生と死を夢心地で味わいたい。……


明かりの切れそうな風呂場で緩いのか冷たいのか分からない湯と一体化しながら、ぼんやりと文字を打っていた。