皆が当たり前と思う事
自分には出来るから
出来るのは当然でしょう
なんて
誰の基準なのでしょう
例えば
自殺したい人に
「何かあったらご相談を」
等と
窓口を用意しても
たかが電話口で
知らない誰かに
出来上がりのマニュアルを話されても
誰の「心」にも響かない事
本当に苦しい人は
助けて欲しいけれど
言葉を発する事も
その「当たり前」の事を
聞く「心」の「隙間」すらない
「自分もそうだったよ」
「生きていれば良い事はあるよ」
「自殺したら天国に行けないよ」
等々と言われ
心配されているのは分かるけれど
御年配の方々は特に
長々と自分の生き様や武勇伝を
話しがちですが
「死」を選んで
そこにいる人には
何も届かない
むしろ
邪魔なだけ
「死に方」を
検索したりしているうちはまだ
「苦しいのは嫌だな」とか
「痛いのは嫌だな」とか
「死んだらこんな状態か嫌だな」とか
等と
「自殺」のやり方や
死んだ後の事を考える
でも
もう
「死」しか頭にないくらい
追い詰められていたら
そんな
死に方や死んだ後の事なんて
考えない
もう
追い詰められて
一杯一杯だから
誰の言葉も届かない
自殺する人は
自殺を考える人は
責任感が強く優しい人が多い
そして
他人のせいにせず
自分が悪いのだと
自分を責める
只々
自分が駄目だからと
自分だけを責め
自分さえいなくなれば
と考える
「死ぬ気でやればなんでも出来る」
なんて
言うけれど
その人にとっては
それまでが
もう
「死ぬ気でやっていた」のかも
しれない事
ぎりぎりまで頑張っていたのかも
しれない事
人には人のペースがある
直ぐに出来る人と
ゆっくり丁寧過ぎて要領が悪く見える人
でも
人の悪い面ばかりを見るのではなく
良い面を見る癖を
世の中の皆が持てば
生きていてくれるだけで
「ありがとう」
に
なるのではないのかと思います
他人に対し嫌味も妬みも虐めも
やる側は
自分が満たされていないから
やるのでしょう
そのやる側の人間の発した言葉は
本当は
自分に向けた言葉ではないですか
温かさを知らない愚かな人間が
温かい人間を殺す社会
自分の思い通りにいかないと
他人に当たり散らす
自分の発する言葉一つ一つに
もっと重みを持ち
自身が嫌な事は他人にしないで下さい
「自分さえ良ければいい」なんて
そんな不憫で哀れで愚かな気持ちで
生きていると
必ず
逃げられない重荷を背負い
後悔しても取り返しのつかない
生き方をして行く事になります
でも何度言っても
そのような悪き人間は
自身の弱さを隠す為に
弱きものを虐め
結局は幸せや温かみを知らず
優しさとも無縁に
生きて行く
せっかくの簡単な幸せへの道導を
誰がしても分からない
そのような人間の形をした者のせいで
世の中は
たくさんの不条理が出来ている
正直
悪者達の未来等どうでも良い
言えるのは
自殺を考えるのならば
まずは自分を責めるのはやめて
悪くない自分を
追い詰めるのもやめて下さい
貴方は全然悪くないから
辛い壁等登りたくないのなら
登らなくていい
身長の高い人が
高い所の物が取れるように
脚立を持ってまで無理しないで
いいと云う事
壁も乗り越えて行ける者が
乗り越えたらいい
その壁を
乗り越えられる人に任せればいい
それは
「逃げる」事ではなく
ただ
「自分の居る場所では無い」と
云う事なだけ
「嫌だ」と少しでも思って
日々を重ね過ごしていたら
それは
「我慢」の厚みが出来るだけで
「心」の余白や隙間までもが
埋まる程
自分がやるべき事では無い事を
覚えていて欲しい
確かに
生きる為に我慢や無理は
必要かもしれません
ですが
それは自分の「心」の中の「軸」の
「目標」や「使命」がある人だけです
「普通」が一番です
もしも
背負いものも無く
只の自分のわがままで無いのなら
一人なら
自分らしく生きられない場所なら
その場から離れれば良いだけです
私は先日ブログにも記しました
大事な家族の自殺未遂で
私は能力で視えるからこそ
どんな思いでその経緯かが
全部視え分かり
私は自分を責めてしまい
以前は一食だった食事も
今は何も口に出来ない程に
かろうじて
飲み物しか飲めない日々を
私は過ごしています
勤務先が病院なので
たまに点滴しています
元々
私は話を聞く専門で
自分から
あまり話をする方では無い性格なのですが
今はそれ以上に声を発する事も苦しく
今まで以上にあまり話出来ません
仕事は変わらず頑張って
やりこなしていますが
本当に毎日
「やりこなす」の言葉通り
日々を乗り越えるのが
精一杯なくらいの精神的になり
何か私に出来なかったのか
その時の彼女の行動が全部視えた為に
私もトラウマになり
正直
私の今の毎日は苦しくキツいです
先日は
駆けつけて下さり
私を見た
御師匠様に心配され
「氣」を入れて頂きました
私の場合は
彼女の自殺未遂は
今は家族の全面的な支えもあり
神様
御先祖様
彼女の生まれ持つ強い守護の方々により
後は実家の亡き愛犬により
助けられ
最悪な結果は避ける事が出来ましたが
それでも
これだけ周りの
その者を大切に想う人間が
本人同様に
こんなに悩み病んでしまうという事
もしこれが最悪な結果ならば
私にとり
大切な者との別れが二回目としたら
私は又
暫く立ち直れないでしょう
そのくらい
周りの人間も苦しむ事
頭の片隅にでも覚えておいてもらえたら
幸いです
私にとり今回
大切な家族の彼女が
「死ななくて良かった」
これからは
私以外の家族同様に
自分の命に代えてでも
寄り添ってあげたいと切に思います
今日のブログの上記の部分は
以前に霊視鑑定御依頼で自殺未遂された方や
別の自殺された亡き方とのコンタクトの事を
少し記しました
全てが
全体が
温かい世の中になれなくても
せめて
自分と自分の周りの大切な人には
穏やかに寄り添ってあげて下さい
押し付けがましい手の込んだ優しさより
静かに手を合わせてあげれる空間を
作ってあげて下さい
自分の為にも
自分の大切な人の為にも
明日が当たり前に来ると思わず
今日一日を大切に
会えなくなる人が
急にあるかもしれない境遇がある事も
私は医師なので
散々見て参りましたが
身内や家族
大切な人となると
また見方も変わるでしょう
生きて下さい
お願いします
〜本日の御言葉〜 お釈迦様
「諸法無我」
(意味)全ては繋がりの中で変化している
- If you don’t like where you are, change it. You’re not a tree. (Jim Rohn)
お読み頂きまして
ありがとうございます
天音