本日は



長年鑑定のお客様のお話です





その御方が






「天音の事も天音のブログも大好きなので
一度は載せてもらいたいなー」と



仰っていたのを思い出し





今回載せさせて頂きます




(私も大好きな素敵なお方です)









その方は







旦那さんに出会って一年して

ご結婚されて






三人の子供を授かり







結婚して九年目に
旦那さんの浮気により離婚し







それも浮気相手は


その旦那さんの
私のお客様の女性の方の家でもある

自分の家に毎日のように

夜ご飯を食べに来ていた後輩の奥さんで






その後輩と
その浮気相手が結婚する時には




この私のお客様の女性と旦那さんで
婚姻届の保証人にまでなられたそうです









その浮気相手の女性が当時奥さんの
その方に言い放った事は


「初めてその私のお客様の旦那さんに会った日から
目をつけていた」




その私のお客様の女性は
言葉を失ったそうです





そして旦那さんはその女性の元へ行き





当時

一番下の子供がまだ一歳にもならない
赤ちゃんで





二番目と三番目もまだ幼い兄弟年子の



三人の子を捨てて





次の月から生活費も全く渡さず




(その浮気相手の女性にも乳児と二歳のお子さんがいましたが置いて来たとの事でした)






途方に暮れた私のお客様の女性は






弁護士の無料電話相談を受け
動いたのですが






勿論
家庭裁判所で決めた取り決めも守らず





養育費も慰謝料も結局一度も支払われず









養育費や慰謝料請求しようにも





勝手に引っ越しし仕事も辞めていて




連絡すらつかない状態で






それまで



その私のお客様の女性も


働いてはいましたが







幼き子を三人毎日毎日




身支度や朝ごはんにぐずる子供達を


あやしなだめ





やっとの事で
保育園に連れて行き






子供達優先にすると

お迎え等の時間調整が難しく





好きだった仕事を辞め






新しく仕事を

子供達に合わせ掛け持ちし







それも


三人同じ保育園に入れず



離れた


別々の保育園に連れて行き





まして一番上の子は

扁桃腺が腫れて高熱が出やすく


そうなると



必ず


熱性けいれん
ひきつけを起こし






身体全体が硬直し




そうなると身体全体が重くのしかかり





その硬直した身体を抱え




車の助手席を倒し
横向きに吐かないように固定させ






下の子供達も後ろ座席の
チャイルドシートに載せて




初めの頃は

一番下の子はまだ赤ちゃんだったので

籠に寝かせた状態で乗せて




軽の車だった為に


狭くて後ろの座席の
チャイルドシートに乗せた子の足元に





籠の三分の一くらい
かぶさった状態で乗せて





ひきつけを起こした子が



一番上の子なので女性一人で抱えるのは重く

毎回大変でも踏ん張り





当時その子は四歳くらいから

小学校低学年くらいまで


それは続き






家に置いては置けない幼き子達を




車に乗せて





病院に着いたからと


又三人の子を一人で下ろし




硬直した子は抱え
先に看護師さんに見てもらい





走って残る二人の子を下ろしに走り






私のお客様の女性は



御実家等も頼れない為



お一人でこなし






その中で毎日毎日





自分も仕事に行き




子供達を
保育園に連れて行きお迎えに行く






段々子供達も大きくなり






と言っても




家事や育児や

仕事に子供の学校関係の事







子供の学校では
必ず役員をやらなければならず



(昔でいうPTAだと仰っていました)



それらをこなし







参観日や運動会や学校と保育園の行事には

必ず参加や見に行き









子供達の父親代わりと母親業と仕事


全部を自分一人でやっていらしたとの事です








子供の部活が始まると朝練で朝早くに出る為


お弁当作りに朝三時には起き




お弁当と朝食を作り

同時に夜ご飯の下準備もし




洗濯物を干した後



残りの二人の子の朝食を食べさせ





お弁当を持たせ





送り出し




御自分はそれから急いで





ゴミ出し等をし





子供達が自分より早く帰る為の


置き手紙を毎日毎日書いて



テーブルに残して




急いで着替えだけをし






メイク等は





簡単にバスの中や電車で座れた時にやり






座れず簡単なメイクさえ出来ない時は





駅のトイレで眉だけ描いて



リップを塗り






いつもいつも



会社に遅刻をしないかが勝負で



生きていたと






髪の毛なんて整えたり
やる暇ないから



いつも後ろに一つに結わえてたし



自分の後ろ姿なんて何年も見た事が無くて







子供の入学式や卒業式の時くらいに




さすがにと思い






久しぶりに美容院に行くと






「後ろ髪に白髪がありますよ」


なんて美容師さんに言われて




それも何本も何本もあって





「びっくりしちゃったわ」



なんて当時を思い出し

笑いながら



「なんかずっと走っていて毎日をこなすのが必死で精一杯で、自分に時間を掛ける余裕も無いし、自分の食事なんて時間も無くて余り食べてなかったし一日あっていう間で夜寝る前に「今日もやっと終わった」と思い毎日いつ寝たのかも覚えていないわ」と




その私のお客様の女性は仰っていらして







掛け持ちの仕事をしながら



家でも夜中まで
パソコンの打ち込みの仕事をしたりと





毎日寝る時間は二、三時間だったそうです





なので





移動等で電車に乗ると



普段からの疲れで
知らずと寝入ってしまい




駅員さんに起こされ慌てて起きたり






車移動の際は




知らずと目を瞑っており


高速の入り口や信号待ちで二、三度
前の車にぶつかりそうになり




いきなら誰かに名前を呼ばれ
ギリギリ急ブレーキをかけ助かったと




守護霊様に助けて頂いたと





何度も感じたと仰っていました







そんな生活の中






不運にも





真ん中のお子さんが
事故でお亡くなりになり





(そこは余り触れてはいけないので
これ以上記しません)











その後も




奨学金も一切使わず
子供達を大学まで出し




「やっとゆっくり出来るわ」と

仰っていらしたのが


数年前で






それから



お手紙を頂戴したり







毎年必ず


暑中見舞いのお葉書やお中元

お歳暮や年賀状やお年賀を




わざわざ
送って頂いたりしていました








元々は



私の母方の実家の神社へ


お子様の御祈願等で
お見えになられていて



その流れで


私の御師匠様の元へと




学びや鑑定に来られるようになり






私は



まだその頃若いのもあり





御師匠様のお隣で

お話を聞かせて頂いたりと




まだ私自身が学生で修行中の身の為




勿論

霊視鑑定等はお受けしておりませんでした









そして



五年位前から





私の本業も慣れて来て




「霊能者」としての分野で



御師匠様から引き継ぎ


鑑定というより







お悩み相談みたいな








私がお仕事で近くに行くと知ると






裏山で採れた

「ふきのとうの天ぷらを揚げるからおいで」や




「天音の好きな山菜の佃煮作ったから取りに誰かよこして」や


「近くのいつもの酒蔵で今年の日本酒去年より良いの出来たからって酒蔵の〇〇さん言ってたから神酒として自身のお清めの時使いなさいよ」 



等々



お声掛けして下さったり




そして



たまにお祓いをお願いされたり




お二人のお子さんのお悩みの



鑑定をされたり






年初め等は

昔と変わらずうちの神社で祈願されたり


うちや御師匠様の神社のお祭りにいらしたり




本当に私自身からしても



「お母さん」のような方で










でもここ最近とても




逢いたいなーと







海外でも思っていて








何故このお話を今日


記したのかと云うと






その鑑定のお客様の女性



「お母さん」みたいな方







私が帰国する一週間前に





亡くなられたと









その女性の娘さんから




連絡があり






帰国後の夜





その女性の御自宅へ


向かって





現実を知りました











娘さん方がお母さんの


身体の不調を知り



病院に連れて行った時は










もう末期の癌で



転移が激しく






お母さんは

きっとずっと前から



具合が悪くても




誰にも言わずに






今までの何十年の





身体や心を駆使して







自分の事より何より




一番にお子さん達の為に









頑張ってきた身体が





無理が祟ったのだろうと






医師に言われたと














でも




最期はご本人の希望で


自宅に居る事が出来たとの事で










私に直ぐ連絡しなかったのも




「仕事の邪魔をしたくないから」と


「あの子優しいからきっと直ぐに駆けつけようとするから」と






私の事を心配していたと




「天音に逢いたいわ」と




最期まで言って下さっていたと









共に育ったような良く知っている
お子さん方々からお聞きして









私が知らない時に




お母さんに






久しぶりにお会いした御師匠様が
何も言わない内に


即座に



臓器の黒い影を霊視し見つけ
問いた所





お母さんは



御師匠様にも
きつく口止めしていたと
















海外でなければ




お仕事ギリギリまで入れていなければ






逢えたのにと







自分に悔しくて






反面



だからあんなに思い出して



逢いたかったのかと






その鑑定のお客様の女性の方
「お母さん」に




お線香を上げ






手を合わせながら想い




四十九日




まだこの世にいるうちに





少しでも傍で

contactを取りたいなと





話がしたいと思っています









私がまだ学生の頃から



御師匠様の横で見ていた




その鑑定のお客様の女性は






ずっとずっと







「お母さん」で










誰にでも優しくて




自分が大変でも



必ず子供達優先で







子供達の事しか考えない一生で





「魂」共々お綺麗な方でいらしたのに




周りからの再婚話も何度も断り





恋愛さえもしないで






子供達の事ばかり考えて







懸命に生きた「お母さん」








段々と

手の甲や目尻に皺が出来始めると




「鏡見るの嫌になっちゃうわ」と



微笑む顔が忘れられません







良く「良い人は早く死ぬ」と




御師匠様が仰っていましたが





それは説は色々ありますが




御師匠様は




あまり人前では見せない顔で

少し辛そうに


「今世の修行が終わっただけ」


「早めに終わりなんて良い人の証拠だ」なんて

仰るけれど








その女性「お母さん」に関しては






お子さん方お二人も社会人になり




「これから親孝行しないとね」と




お子さんお二人も

考えて話をしていた矢先だったらしく










あんなに働き詰めで



あんなに必死で一生懸命で





あんなに自分の人生を犠牲にして



いつも頑張っていて




でもそれを全然皆には見せず






苦労して




子供達の為だけに生きた










「来年一月くらいには皆で温泉行こう 天音たまには休み取ってよ」



なんてLINEがまだ残ってるのに









あーどうして



もっと早くに逢いに行かなかったんだろう




お仕事とはいえ
どうして海外なんてその時いたんだろう





最期の最期まで



私の性格知りつくして





静かに亡くなられた



私の鑑定のお客様であり



私の大好きな方







私が海外に行く度に


「お土産何がいいかな」と聞いたり



お誕生日やクリスマスやイベント毎に


「何か欲しい物ないかな」と聞くと



必ず


「手書きのお手紙がいいわ」と

仰っていた方





「天音の無垢な透明な所が素直さが大好きよ 変わってはダメよ」と

逢う度に仰って下さった方








私は本業もこの霊能者の仕事も

「命」とは


突然無くなるのを
一番分かっている仕事をしているのに







当たり前に哀しく寂しい






でもそれ以上に

悲しみよりも虚しいよりも「空しい」











そして昨日なんですけど




弁護士さんから連絡があって




遺言で







お母さんの保険金の中から






お子さん方お二人同様に



私にも

「少しだけど今までの鑑定料金」として





遺産を渡すつもりで書いてあり





私は今まで




御師匠様もそうですが



御師匠様から引き継ぎし




その女性のお客様から



鑑定料のお代を頂いた事が無く






それは




その「お母さん」が




人より何倍も
頑張っているのをずっと見て


分かっていたし







何より




助けたいし支えたいし




そこに


お代=お金が自分の中で




考えた事も無く




本当に



絶対にご自身の方が疲れているだろうに



私を気遣ってくれ




私が一時期凄く痩せて40kgきった時も




心配してくれて




煮物や魚の煮付けや

根菜やお豆のサラダや
野菜たっぷりの煮込みスープ




他にも沢山小分けにされた

「新しく買ったわよ小さめタッパー少しずつで飽きないし食べやすいでしょ」

なんて笑って言い



Officeまで届けてくれたり






温かいお気持ちと共に

良くして頂いた思い出しかありません








私が海外で



忙しいとし

自分自身の霊能力のアンテナを



きちんと作動させていなかったのが


悔やまれます










どうしても癖で


忙しいと他の雑音や
色々な「氣」や「事」が入らないように



shutoutしてしまう方が



仕事も







生きやすさもあり




能力の
アンテナを閉じてしまうんです私




人の「氣」や思いや考えを
勝手に入れたくないから
















大事な人が又

私の元からいなくなる
















ですが



御師匠様の仰るように






その方は


充分頑張っていたから






まだまだ御若いけれど




良い人だったから






神様が


「もうゆっくり休め」と






これ以上


「汚い澱みある今世にいる必要は無い」と





「休暇」を「ご褒美」を



与えて下さったのかもしれません









今回この内容を記したかったのは







その鑑定の女性が「お母さん」が







一人で必死に生きた証










苦労を






優しさを








全部

忘れないように  






その「お母さん」の話を記しました








当然


私に残された
「今までの鑑定料」とされる


お金は受け取らず



お子さんお二人方と相談して


「お母さん」だったらそうするね







そのままその弁護士さん経由で


その女性「お母さん」の御名前

 

本名で御寄付させて頂く事にしました







「お母さん」





私の人生の中で


人様に対する「感謝」を
沢山教えて下さった方のお一人




ありがとう





本当に















そしてそれ以上に


逢えなくてごめんなさい


































長くなり申し訳ありません



途中
涙で上手く文字打てませんでした






























本当に

「逢えるうちに逢いたい人には逢って下さい」










本日のメッセージは




それだけです


















小雪の候

どうぞ体調を崩されませぬよう
お身体を大事になさられて下さいませ









お読み下さり
ありがとうございます








暖かくして下さいね










It is not length of life, but depth of life.



天音