「『春の森』か・・とても美しい森だ・・」

 視力を失ったカンの感覚そのものが、森の若葉に反応していた。

 そんな森の活力に助けられたように、二人はせせらぎの脇の小道に沿って歩き出した。

「ここはもうリデン様の森なんですよね・・」

「ああ・・」

「何だかホッとしますね・・」

 

 暫く行った処に一軒の小屋があった。正面に廻ってみると、その庭先で一人の女が粉を練っている。大掃除でもしていたのか、その顔は煤で汚れていた。

 ダシュンはちょっと咳払いをして注意を促すと言った。

「こんにちは・・」

 

 女は二人の姿に、慌てたように後ろの被りものを目深に被った。が、ダシュンは、そこから覗く女の瞳の美しさに驚いた。

「あの・・すみません、吃驚させて・・迷い込んでしまって・・。連れが沢から落ちて、怪我をしてるんですけど・・どこかで少し休ませてもらえませんか・・」

 そんな突然現れた僧服の男達に対し、女はさほど驚いた様子も見せず、近くの納屋を素早く整えてから言った。

「・・こちらで、休んでください」

 

 その優しい声の響きにホッとしたようにカンが藁の上に腰を下ろすと、女はその怪我の傷口の具合も看てくれた。が、それは明らかに沢から落ちた傷ではなく、かなり深い斬り傷だ。しかし女は何も言わずに水で傷口を洗うと、きれいな布で塞いだ。

「少し休んでから、テンド先生を呼びに行ったらいいわ・・」

 それから気分を落ち着かせる薬草のお茶を沸かし、二人に勧めた。

 

 自分達のためにテキパキと適切な処置を施してくれる女に、カンとダシュンは感嘆した。

「食事の支度をじゃましてしまって・・すみません」

「大丈夫よ・・娘と二人だけですから」

 それを聞いて何故か嬉しくなったダシュンは、干し肉を練り込んで焼くのを手伝った。

 ・・暫くして、美味しそうな匂いが辺りに立ちこめる・・。

 女はその焼き菓子を籠に入れてダシュンに渡すと、もう一つの籠とお茶を持って家の中に入っていった。

 

 ダシュンも納屋に戻ると、空腹だった二人は直ぐに食らいついた。

「ん・・こりゃ美味いな」

「美味いっすねえ・・」

 一気に食べ終わると直ぐに藁の上にゴロリと寝転び、二人共いつの間にか深く寝入っていた。

 

 再び目が覚めた時には、既に午後の日差しに変わっていた。失血の酷かったカンは、まだ寝入っている。ダシュンは女に集落までの道を聞いて、向かった。

 

 

「めずらしいこったな。サアラが集落まで使いをよこすなんて」

 医者のテンドと一緒に小屋の近くまで戻ると、庭先に小ぎれいな格好をした少女の姿が目についた。遠めからは、頭巾に隠れたその顔はハッキリとは見えない。

 少女は二人が来るのに気づくと、家の中に入ってしまった。

「あの子が噂のお姫さまだな・・」

 テンドが言った。

「お姫さま・・」

「見れば分かるだろう・・」

 確かに、女の格好に比べ、格段にキレイな成りをしていた。

「サアラさんの娘さんですか・・ずいぶん大きいんですね」

「娘・・?いや、ヨウから聞いた話では・・」

 

 

 一年近く前、旅の途中だというシュメリアの神官が、親を亡くし、以来、一緒に旅をしているという少女をサアラの元に預けていった。少女は相次いだ両親の死のショックで、それ以前の記憶をなくしていた。

 サアラは可愛い妹が出来たと喜んで預かり、それ以来、その神官が再び迎えに来る日まで、少女をまるでお姫さまのように大事に世話をしているのだと言う。

 

「しかし、いくら可愛いからって、大した手伝いもさせねえってのはどうかな・・嫁に行ってから苦労するぜ。それこそほんとに王子さまにでも貰ってもらわねえとな・・」

 そう言ってテンドは笑った。

 

 

「こりゃまた、えらく腫れてるな・・」

 テンドは、カンの足を見るなり言った。しかしその前に斬り傷の方を診て、よくこの傷で持ったものだと感心した。

「こりゃ、サアラは医者になれるぜ・・。ま、あんた方もただ者じゃなさそうだがな・・神官か何かかい、その恰好からすると」

「まあ・・・」

 二人はまだ身元を明かしていいものか判断がつかず、あやふやにそう言った。が、医者は気にした様子もなく、足の方に取り掛かった。

「折れてるな・・ここだ・・しばらく動けねえぞ」

 そう言って腫れ上がった部分に包帯を巻き、その上に当て木をして更に包帯でグルグル巻きにした。

「・・で、目もどうかしたのかい。こりゃ診療代が大変だね」

 冗談めかした口調でそう言うと、目の状態も診はじめた。 

「どうしたんだい・・これは」

「月の光にやられてね・・」

「・・月の光・・?日の光なら、直接見るとよくねえがな・・」

 テンドは暫くジッと何かを考えるように、その目を見ていた。

 

「・・何度か、お前さん方と同じような恰好の神官かなんかを、猟師が運び込んでな・・山で倒れてたって。中にはこんなふうに目を遣られてたヤツもいたな。結局、皆、ダメだったがな・・」

「・・・」

「お前さんたち・・どこから来たんだい」

「・・以前は、『リデンの森』に暫く滞在しておりました。リデン様のお館に・・元々はミタンから・・」

「ほう・・リデン様の客人かい。なら、ワシらの客人でもあるわな」

 カンは『リデンの森』での目の治療について話し、この森でも同様の治療は出来ないかと尋ねた。

 

「同様の泉はあるが・・いや、あったが、何故か何年も前からその強い効力は失ってな。今では、殆どただの水だ・・」

「それはどこに・・」

「すぐこの近く・・森の奥に入ったところだよ。ま、全く効力がないこともないだろう。毎日、目に浸してみなされ。今のこの状態じゃ、ミタンにせよ、リデン様のところにせよ、戻るのは大変だ。足ばっかじゃなく、へたに動くとまた傷口の方も開いちまう。・・何やら派手な立ち回りでもやったようだが、しばらくここで直してから戻るんだな。サアラなら大丈夫だ。この傷の処置の具合をみれば分かるだろ、素晴らしい娘だ。元々はな・・」

 

 カンはテンドに、『リデンの森』の伝令を捜してくれるよう頼んだ。テンドは明日また診に来ると言い、サアラに暫くあの客人達を置いてやってくれと頼んで帰って行った。

 

 

 カンはその翌日も、目を覚ましては暫くすると眠くなり・・食べると再び眠りに就いてを繰り返し、その後、すっかり眠りから解放された。身体も軽く感じられ、骨折以外は傷の具合も驚くほど回復していた。

 その間、ダシュンはサアラの手伝いをして過ごした。しかし些か奇妙に思えたことには、最初の日はたまたま何か煤だらけになるような仕事をしていただけなのかと思っていたが・・その後もサアラは毎日煤だらけの顔をしている。

 しかし直接聞くのも憚られ、話好きな医者にその異様な風体のわけを尋ねてみた。

 

 

 サアラは赤ん坊の頃、この森に置き去りにされていた捨て子で、子供のいない老夫婦に拾われ育てられたのだという。老夫婦はサアラを慈しみ育てたが、なにぶん二人とも高齢で、何年か前に相次いで亡くなってしまった。

「その後、一年半ぐらいしてからなんだがな、一体何があったんだか、あんな風になっちまったんだ・・。サアラに惚れてた男がいたんだが・・いや、村のもんは皆、惚れてたんだがな。とにかくそのことで何かあったんじゃねえのかって、もっぱらの噂だ・・」

     

 

 ダシュンが少女の姿をハッキリと見たのは、三日目のことだった。その日、薪割りをあらかた終えたダシュンは、その薪の束の上に座って休んでいるうちに、麗らかな陽射しに居眠りを初めていた。実際、ここに来てからは、それまでの緊張の日々から開放されせいか、よく眠っていた。

 一眠りして目を覚ますと、目の前をひとりの少女が横切るところだった。

(え、まさか・・!)

 こんなところにいるはずはない・・と思ったが、ここは神殿の近くではある。それに、最初の日に遠めで捉えた少女の姿が、些か心に引っかかっていた。

 ダシュンは急いで少女の消えた家の裏手に回ってみた。

 

 足を怪我しているらしい野ウサギを抱いて、家の中に入るところだった。そう言えば、薪小屋の隣に薬草小屋があった。

 驚いた表情で見つめる若者に、少女は真っ直ぐな視線を返した。ダシュンは思わず、王族に対する時の正式な礼をしていた。

 それに対して少女の反応は、一瞬ちょっと不思議そうな表情を見せたものの・・直ぐに、しごく当然の対応に出会った時のような様子を見せて、その目許に笑みを浮かべた。

「ふふっ・・」

 そして耳に懐かしい、誰の心にも響く小さな鈴の音を発した。小さな王女がちょっとはにかみながらも、鷹揚な態度で、仕える従士達に与える唯一の褒美のような・・。

 

 ではテンドが言っていた神官と言うのは・・シャラのことか・・。そうするとやはり、地下道の男はシャラだったのか。つまり、ここに来て帰るところで・・。

 

(・・記憶をなくしている・・?)