21(sat) Moonage:4.740(22:00) 旧暦:10/05 ユリウス暦:2455157.04241
位相:53.658 輝面比:20.369% 黄経:293.011 黄緯:0.063 赤経:19.656 赤緯:-21.412 高度:-16.761
出.10:21 没.20:26
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「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣
わが背子がい立たせりけむ嚴橿が本―――― 額田王」
海椿葉山
この歌は、額田王が紀の国(和歌山)白浜の温泉で詠みました。
万葉集で最も難解な歌で、最初の“莫”から“氣”までの上句は、読み方も意味も分からず、
「日本古典文学大系」もふりがなを付けず、漢字のままです。
西暦655年、斎明天皇が重祚。政治的には息子の中大兄皇太子が実権をにぎり、
藤原鎌足、そして弟の大海人皇子が政治の表舞台にいた時代。
額田王は大海人皇子との恋で十市皇女を産み、女帝からの信頼も厚かったといわれています。
中大兄皇太子は、自分の娘である大田皇女と鵜野讃良皇女の二人を大海人皇子に与える換わりに、
強引に額田王を手に入れます。中大兄・大海人・額田王、この三者の恋物語は有名ですから
端折りますけど、この歌が詠まれた時というのは、。。。。
女帝の孫の健王が幼くして亡くなります。女帝は病床に伏しかねないほど落胆します。
そこで女帝を慰める為、旅行が企画されます。場所は有間皇子がお薦めする紀の湯白浜。
参加は、女帝斎明天皇と、中大兄皇太子・大海人皇子・額田王・大田皇女、他お連れの家臣。
どーー考えても、ドロドロした複雑なメンバーでしょ。
でも、額田王は聡明な女性だったので、三角関係が生む陰湿な棘のある旅行ではなく、
かなり和気藹々としたムードで、女帝も心が慰められたという訳です。
この御一行が白浜の温泉で楽しまれます。
ですが、、、。
ただの女帝お慰め旅行じゃなかったんです、はい。
この旅行中に、19歳の有間皇子が謀反の罪により、藤白坂(和歌山県海南市)で絞首刑にされます。
女帝たちに紀の湯白浜へ行幸するように薦め、その間に挙兵するという軍略を立てていたそうですが、
これは濡れ衣ですね。有間皇子は繊細な歌人で、挙兵できるほどのバックボーンもありませんでした。
中大兄皇太子と藤原鎌足は、「政敵はどんな小物でも握り潰すタイプ」ですし、
どうやら有間皇子は「陥れられた」ようです。19歳で絞首刑、不憫です。
有間皇子は歌人として額田王を尊敬していて、仲が良かったのです。
こういう時に、この難解な歌が詠まれたのです。
いまだに、読み方も意味も判っていませんが、複雑な時代背景が感じられます。
和歌山県西牟婁郡白浜町椿には「椿の湯」があります。
夏の白浜はとても素敵ですけど、私は冬の海も大好きです。
大海原と大空と紅一点の寒椿。ハッとする美しさがあります。
遠い昔、額田王も見た海。太古に思いを馳せます。
大海人皇子が政治的に失脚し、吉野に隠遁する前に、真っ青な瑠璃色の器を額田王に贈ったそうです。
海と空を表現したその器は、その後の壬申の乱に至るまでも、変らぬ二人の心だったのかもしれません。
椿には「海椿葉山」という、すばらしいお宿があるんですよ。
熊野でお参りした後、ゆっくりと体を休めてください。
海椿葉山(UMITSUBAKI HAYAMA)
和歌山県西牟婁郡白浜町椿1063-20
http://umitubakihayama.com/
↑美しいHPです。ぜひ、ご覧になってください!!
『地元農家の朝摘み野菜』と『熊野の名水』、ご賞味あれ!!!
Peace and Love.
位相:53.658 輝面比:20.369% 黄経:293.011 黄緯:0.063 赤経:19.656 赤緯:-21.412 高度:-16.761
出.10:21 没.20:26
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「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣
わが背子がい立たせりけむ嚴橿が本―――― 額田王」
海椿葉山
この歌は、額田王が紀の国(和歌山)白浜の温泉で詠みました。
万葉集で最も難解な歌で、最初の“莫”から“氣”までの上句は、読み方も意味も分からず、
「日本古典文学大系」もふりがなを付けず、漢字のままです。
西暦655年、斎明天皇が重祚。政治的には息子の中大兄皇太子が実権をにぎり、
藤原鎌足、そして弟の大海人皇子が政治の表舞台にいた時代。
額田王は大海人皇子との恋で十市皇女を産み、女帝からの信頼も厚かったといわれています。
中大兄皇太子は、自分の娘である大田皇女と鵜野讃良皇女の二人を大海人皇子に与える換わりに、
強引に額田王を手に入れます。中大兄・大海人・額田王、この三者の恋物語は有名ですから
端折りますけど、この歌が詠まれた時というのは、。。。。
女帝の孫の健王が幼くして亡くなります。女帝は病床に伏しかねないほど落胆します。
そこで女帝を慰める為、旅行が企画されます。場所は有間皇子がお薦めする紀の湯白浜。
参加は、女帝斎明天皇と、中大兄皇太子・大海人皇子・額田王・大田皇女、他お連れの家臣。
どーー考えても、ドロドロした複雑なメンバーでしょ。
でも、額田王は聡明な女性だったので、三角関係が生む陰湿な棘のある旅行ではなく、
かなり和気藹々としたムードで、女帝も心が慰められたという訳です。
この御一行が白浜の温泉で楽しまれます。
ですが、、、。
ただの女帝お慰め旅行じゃなかったんです、はい。
この旅行中に、19歳の有間皇子が謀反の罪により、藤白坂(和歌山県海南市)で絞首刑にされます。
女帝たちに紀の湯白浜へ行幸するように薦め、その間に挙兵するという軍略を立てていたそうですが、
これは濡れ衣ですね。有間皇子は繊細な歌人で、挙兵できるほどのバックボーンもありませんでした。
中大兄皇太子と藤原鎌足は、「政敵はどんな小物でも握り潰すタイプ」ですし、
どうやら有間皇子は「陥れられた」ようです。19歳で絞首刑、不憫です。
有間皇子は歌人として額田王を尊敬していて、仲が良かったのです。
こういう時に、この難解な歌が詠まれたのです。
いまだに、読み方も意味も判っていませんが、複雑な時代背景が感じられます。
和歌山県西牟婁郡白浜町椿には「椿の湯」があります。
夏の白浜はとても素敵ですけど、私は冬の海も大好きです。
大海原と大空と紅一点の寒椿。ハッとする美しさがあります。
遠い昔、額田王も見た海。太古に思いを馳せます。
大海人皇子が政治的に失脚し、吉野に隠遁する前に、真っ青な瑠璃色の器を額田王に贈ったそうです。
海と空を表現したその器は、その後の壬申の乱に至るまでも、変らぬ二人の心だったのかもしれません。
椿には「海椿葉山」という、すばらしいお宿があるんですよ。
熊野でお参りした後、ゆっくりと体を休めてください。
海椿葉山(UMITSUBAKI HAYAMA)
和歌山県西牟婁郡白浜町椿1063-20
http://umitubakihayama.com/
↑美しいHPです。ぜひ、ご覧になってください!!
『地元農家の朝摘み野菜』と『熊野の名水』、ご賞味あれ!!!
Peace and Love.