みいの進学先が決まりました。
調理製菓系の専門学校。
なんどもオープンスクールに通い、先生や事務局の方々とも仲良くなり、あちこちから声をかけてもらえる。
はじめから障害の事を相談していて、なんとか配慮もしてもらえそう。
学費は、私大理系よりも高く、目を剥く金額で、しかも2年でなく、3年制なんだけど、みいが行きたいと言う所、自分で通って決めた所なんで、貯金をきり崩し、払うしかない!!
親がしてあげられるのはここまで。
あとは何とかなる精神で行くしかない。
記憶の面を含め、大変な事が多いかもしれない‥。
学校との合理的配慮のやりとりとか、考えればちょっと憂鬱になってくるけど、私も頑張るしかない。
楽しい学生生活が送れるといいなあ。
もともと、お友達がたくさんいるタイプでみんなでわいわい遊ぶのが好きだったみい。
病気になって、学校がしんどくなり、できない事ばっかりになってしまった。集中力、記憶力がなくなり、いらいらする日が増えて、小学校の間ははなんとかお友達とのお付き合いができていたけど、中学に入ると、勉強中心の生活を送る同級生とは疎遠になり、学校が苦痛のみの場所となっていった。
そんな中、森に囲まれた古民家で運営されている素敵なフリースクールに出会い、そこが居場所となり楽しく過ごせるようになった。
そこでスタッフさん、ボランティアさんにとても良くしてもらったけど、やはり大人相手。同年代のお友達もいたけど2、3人というところ。
みいは同年代のお友達を欲してたんだよね。
そこから、やはり自分でいろいろな通信制高校を見に行き、今の学校にきめた。苦手な勉強を頑張り、学科試験を乗り越え、入学した。まあ、点数関係無しの合格だったみたいだけどね![]()
入学後は、突然倒れる発作と戦いながら、なんとか登校し、単位をとっていったよね。毎回私が朝一緒に学校につきそい、学校がある間私は仕事をし(職場が電車で3駅くらいだった)、終わると迎えに行くという生活。
毎日行かなくていい通信制だったからこそできた。
私の職場が、自由のきく働き方を許してくれたからこそ。
授業が苦痛で、昨年は特に最低限しか行かなかったけど、今年、推しの先生が担任となり、授業のない日も自習をしにほぼ毎日学校に行くようになった。
あんなに苦痛だった授業も、ほぼすべて受けている。
高次脳機能障害の先生によると、やはり脳は鍛えれば耐性ができるらしい。
きっと、みいの脳も毎日登校で、鍛えられたのね。
そして、この毎日登校できた事が自信となり、初めは無理だと思っていた、出席と試験が単位取得の要件となるけど、とても気に入っていた専門学校に、入学をきめた。
これには、もちろん、調整を重ねてきた薬が合って、てんかん発作が激減した事も大きい。
あとは、毎日学校に行く事により、先生達に気にかけてもらえ、学校がみいの居場所になった。あんなに欲しかったお友達も何人かできた。
みいが、次の進路を、比較的ちゃんとした専門学校に決めたのは、学校っぽくて同年代の生徒がたくさんいるから、というのも大きい。比較していた別の学校はスクール的な所で社会人入学者もいるような所。
公立の勉強中心の学校は無理だったけど、好きな事ができる学校なら、友達を作りながら学生生活を送ってみたいという強い気持ちの表れなんだと思う。
正直、この春からこんなに状況が改善するとは思ってなかった!
みいも、今まで良く頑張ったな〜。
もともと、すごく頑張り屋さんだったのに、病気でそのいい面がなくなったと思ってたけど、まだまだみいのよい個性は残ってた。
そして、私も良く頑張ったと思う。
みいが病気になるまでは、人生、ほぼ思いどおりにすすめてきてた。
実は、私は小さい頃に両親を交通事故で亡くしている。その一面だけを話すと、とても気の毒そうな顔をされるので、あまり周りに言ってこなかった。
結婚式の時にどうしてもばれちゃうから、直前に、きてくれる友達に始めて話した。
中学からの友人もいたので、みんなその時始めて知ってめちゃくちゃ驚いてたんだけど、言ってからはなんだか楽になった。
事実はそうなんだけど、そこそこリッチで若い祖父母が両親のように育ててくれたので、私自身はその事であまり苦労もしてないし、自分をめちゃくちゃ可哀想とは思ってなかった。
でも、人生の初めのほうに、こんなに不幸な事があったから、これからの人生は良いことばかりのはず!と思って生きていたんですよ‥。
それなのに、突然子供が100万人に1〜2人しかかからない病気になり、障害を負うなんて。
神様なんていない、人生不平等だと思ったよね。
これからのいろいろなしんどい事を考えたり、両親に恵まれ(だいたいはそうだよね)子供達が順調に育ってる友達の話を聞いたりする(ほぼ全員がそうなんだよね)と、まだまだそういうブラックな気持ちも正直出る。胸がちくっとしちゃう。
けど、頑張ってきた。
そこだけは確かだ〜。
そして、これからも悲観しすぎず、頑張るしかない。