姑にゴキブリを盛られた嫁の行方(13
幼いころからパチンコ屋に連れて行かれて
座る場所(居場所)さえも与えてくれなかった母
熱があると訴えても気のせいで押し通した母
小6から主婦のように食事を作ることを要求した母
中学からお弁当が必要になったけど
娘の昼食の心配など一度もしなかった母
それでも実父が亡くなってからは
普通の母娘のように花見や食事にも行った
それは旦那が教えてくれた
「今はそうでも、後で後悔しないために今できる事はするんやで」
という言葉を大切にしたから
そんな母がある日突然脳幹出血で倒れた
救急車で運ばれた病院の医師からは
もう意識もう無く今後目を覚ますことも無いだろう
脳はもうダメだから
身体が弱ってただ死んでゆくのを待つだけだと言われた
その日からわたしは妹と手分けして
一日おきに週3・4回弁当持参で
自転車→JR→バスを乗り継いで片道1時間半の道のりを
母の病院へと通った
初秋の何もかも真っ白な病室
わたしは母のベッドに頭を埋めそっと手を握る・・・
一回ぎゅっと握ると
母も一回握り返してくる
二回握ると母も二回
三回握ると母も三回
意識が無いなんて嘘だ!
母はちゃんと判ってるんだ
そう思うと嬉しくて嬉しくて
わたしは子どものように何度も何度も母の手を握った
母は今何を考えているのだろうか?
痛いのだろうか苦しいのだろうか
そしてこの時初めて母のことを
母の生きてきた人生を想った
