姑にゴキブリを盛られた嫁の行方(11
ガンガンがっちゃん
元気だったころのわたしを旦那はこう呼んでいた
友だちも
「月歩さんは冬でもパーンと花火を打ちあげられる人」と言った
そんなわたしが
不安神経症
↓
パニック障害
↓
うつ病
こんな経過をたどりながら
完全なうつ病患者になってしまった
あれだけ前向きで社交的だったわたしが
一切人とかかわることができなくなり引きこもり
友達に誘われても断り続け
うつ病だということもカミングアウトできないまま
また連絡するわ・・と守れない約束をした
そして、そんな状態のわたしからみんなどんどん離れて行った
5年前からは目が不自由になり
逢う人の顔はみんなのっぺらぼうに見えるから
知ってる人に会っても判らない
みんなわたしに
避けられた上に無視されたと思っているんだろうなぁ
その後、痴呆症で徘徊を繰り返していた
義父が脳溢血で倒れ
3年半の入院生活を経て亡くなった
その3年半はわたし自身もパニック発作と
うつ病からくる死にたいという願望に支配され続けた
自殺未遂を繰り返したのもちょうどこの時期だった
旦那(義父)親戚は議員さんとかともいて
とにかくやることが大きい
お葬式の打ち合わせの時
OO男とOO太郎と俺のところは1本出すから
一本??・・後で旦那に聞くと
1本とは百万円のことで家長が亡くなった時は
毎回そんな大金が香典としてやり取りされるのだと聞いて
貧乏な家庭で育ったわたしはとても驚いた
当然のことながら
お葬式も一番大きな会場で盛大に行われることとなり
わたしは喪主の妻をちゃんと勤められるんだろうかという
不安と緊張を抱きながら通夜、葬儀が始まった
昨日は旦那との間で すったもんだ がありまして
疲労困憊で更新ができなかった・・
結局何とか収まったんだけど
義母のせいで離婚なんてバカらしい
なんだかんだ言っても
わたしは旦那と結婚できて幸せだ
尊敬できるところもあるし
何より今まで出会ってきた人の中で一番好き
そして旦那は暗闇の中にいたわたしを
光当たる場所に導いて
普通の生活レベルまで引き上げてくれた
だからわたしはこの生活を
守るため維持するために必死で頑張ってきた
病気のこと
目のこと
義父や義母の介護
葬式や法事・・・それらも
誰にも頼ることのできないない一人っ子の妻としてこなしてきた
でも、それは旦那が好きだから
旦那に嫌われたくなかったから
ただただそれを原動力にして頑張ってきたんだよ・・と
昨日、涙ながらに訴えた
そうしたら
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旦那は嬉しそうにわたしにキスしてきた
ぁ・・・ノロケに聞こえちゃう キョロキョロ
でも話し合いって
自分の気持ちを正直に話すって
大切だなって心か思った
こんな状況に
負けたくない
敗けられない
!
だから今日もわたしは
ブログのタイトルに掲げてるように
それでも生きて行こう!
