深夜に映画を観た

 

ピースオブケイク

 

恋愛映画

 

流されるように生きる

 

梅宮志乃

 

彼氏と別れて引っ越した

 

隣の住人菅原京四朗の笑顔を見たとたん

 

風が吹き抜けた

 

紹介されたバイト先の店長だった

二人はバイト終わりの帰り道の15分間にたわいのない話をする

 

一目ぼれした志乃

しかし京四朗には同棲する彼女あかりがいる

 

色々あってあかりが家を出ていく

 

寂しくて京四朗は志乃の家へ行く

いつものようになりたくない

流されるのはダメだと思うが

風が吹き抜け今までとは違う京四朗

受け入れて付き合うようになる

 

二人のやりとりが可愛い

 

なんといっても

京四朗が「しのちゃん」と呼び

志乃を抱きしめる様が優しさに満ちている

 

包み込むような抱擁

 

性描写もあるのだが

綾野剛さんのキャラクターなのか

監督の演出なのか

いやらしさはあまりなく

 

お互いを好きだという優しい雰囲気に包まれる

 

「人たらし」だと言われている綾野さんのキャラクターがなせることかな?と思えた

 

人に優しい

 

包み込む抱擁を

久しく見ていない

 

あ~こんな風に抱きしめられるってあるのだなあと思った

 

スキンシップは気持ちを満足させる効果があるらしい

 

一人でつっぱって生きている私

それで良いと思っていたが

好きな人だったらありだな

 

ま、抱擁してくれる人がいればです

しかも心からの抱擁で

いやらしさのないもの

 

 

思い返せば

赤ちゃんを抱っこするとき

こういう感じになる

 

それは癒しだった

 

長男の時は初めての赤ちゃんでぎこちなかったが

次男は抱っこするたびに私が癒された

そして自分が安らいで赤ちゃんに戻った感覚だった

添い寝をする時に

次男の脇の下に頭を置くと

自分が抱っこされている気持ちになっていた

 

わたしの天使だった

 

今でも細かいところに気が付く次男

最近は長男も大人になり気配りをしてくれるようになった

 

肌のふれあい(いやらしい意味ではない)は気持ちを癒す効果がある

 

それとは逆に

傷つける効果もある

 

相手による

 

心のふれあいとは別に

肌のふれあいも癒し効果がある

 

子供たちも大きくなり

抱擁することはない

 

欧米人は

挨拶で抱擁をする

 

あれは心の癒しであるが

嫌いな人への強制は拷問とまではいわないが嫌悪感があることだろう

 

日本人は好きな人としか自らの抱擁は無い

そうだとすると日本人で良かったと思える

 

あ、脱線した

 

あかりが小説を出版する

そこであかりの正体を知る

 

あかりが母親がなくなって

京四朗にすがってくる

「田中」とい名前で電話のやりとりをする京四朗とあかり

それを志乃がしることになり

別れる

 

志乃はバイトもやめて劇団の衣装の仕事をして生きている

流されないように踏ん張って生きていた

 

そこで友達からある小説を教えられる

それはあかりの二冊目の小説

 

そこであかりと京四朗が別れたことをしる

 

劇団も売れてきて志乃は仕事に生きていた

流されず仕事に打ち込んでいたのは

京四朗を忘れることができなかったからだ

 

劇団の公演を見に来た京四朗と再会する志乃

 

目があった途端に全力で逃げ出す志乃

それを追いかける京四朗

 

あ~

ここも節目ですね

ここで追いかけるか追いかけないか

 

好きなら追いかける誠意を見せて欲しいものである

女性は試しているんだよね

 

どれくらいを自分のことを思っているのか

 

綾野剛

全速力で追いかける

 

そして抱っこして自分の家につれていく

家の前の庭には志乃が育てていた植物が多い繁る

 

別れていた年月と思いを感じる

 

そこで志乃は京四朗を責めるが

何度も謝る京四朗

言いたいことをぶつけることができる相手

 

志乃は「だっきらい!!」と叫ぶが

京四朗にキスをする

 

そこで終わるのだが

 

なんだろう?

 

いやらしさがない

人を好きという感情のやりとり

純粋に好きという気持ちが性的な感覚を越える

 

多部さんと綾野さんだからそう感じたのか

わからないけれど

観た後に人を好きになる感情は悪いものではないなと思えた

 

恋愛ではなく

愛情

まるごと好きと思えるのか

 

一緒に生きていきたいと思えるか?

 

流されずにつかんだ愛情

そこが大事だなあと思えたのです