昔を知っている人間には考えられないことだ。 小学校も、中学校も、夏休みの「臨海学校」は、「淡路島」だった。 何処の港にも、何隻かの観光船が浮かんでいた。 土産物店が軒を連ねていた。 60年前の話だ。 それから10年後、「洲本」の海岸縁の家の肩に招かれて海水浴に行ったところ、記憶にある「淡路島の海」ではなかった。 見上げるような堤防が築かれており、海からは「透明感」が無くなり、足元すら見えないありさまだった。 防波堤が、役に立つものだとして、実際には、高さ10メートルの防波堤でさえ、三陸沖地震では、一発で津波に破壊されるものだが、波の静かな「瀬戸内海」に「防波堤」を作らせた「淡路島島民、洲本市民」の常識とは何だったのかと、疑問を持たざるを得ない。 汚い海で、「臨海学校」をやるわけにいかないね。 すると、島の唯一の産業「観光業」が衰退すると言うことになり、「旅館の従業員」を解雇し、「土産物屋」が店を閉める。 元々が田舎町で、さびれた街に、若者が残るはずもない。 島は、いずれ「限界集落」となるだろう。
中学1年生だった。 クラスメートの背の高い女子が先生の指導で、「平泳ぎ」を練習していた。 あまりに上手に泳ぐので、自分の泳ぎと、一体どこが違うのだろうと不思議に思い、海面下から彼女の泳ぎを観た。 透明な海の中で、彼女の白い足が、流れるように揺らいでいた。 世の中にこれほど美しい光景があったのかと、そして、見てはいけないものを観たような気がして、慌てて立ち上がった。 海の家の前が2メートルほどの白い綺麗な砂浜で、そこから先約30メートルほど海底が見えているほどの素晴らしい透明感があった。 何故に「堤防建設」を許可したのか? 自分の首を自分で絞めたわけだ。 先祖代々地震、津波の被害を受けながらも、何度も立ち上がれたのは、「きれいな海」の恩恵があったからだ。 淡路島観光と言ったって、特に観るべきものは何もない。 「美しい海水浴場」が売りだったのだもの。 小汚い淡路島の浜でとれた魚を格別食べたいと思うような人は、それほど多くいないだろうに。