ブログにまだ書いていなかったのですが…。




最近のメンタルの疲れの原因のひとつ。





実は半月程前から





我が家で母と1番上の兄が期間限定で同居しています。




文字で説明するととても長くなってしまうのと、上手く要約して説明できず、なかなかブログに載せることができませんでした。





経緯を説明すると、まず私の家族の話からになるのですが…。




私には兄が2人います。
長兄は穏やかで優しい人ですが、グレーゾーンともいわれる、社会では生きにくい繊細な人です。今は支援センターに通いながら、先日長年の決心がつき、発達の相談に行き検査を受けたところです。


次兄は今は神奈川在住。良くいえば目標意思が強い。悪く言えば周りを犠牲にしても我を突き通す人。
結婚していましたが、奥さんも我が強く兄と最初から合わず常に大喧嘩。なぜ結婚したんだ。
そして兄の仕事中に奥さんが勝手に子供を連れて出て行ってしまい、兄はそこから子供に会えず、揉めに揉めて数年前に離婚。
兄にも問題はありましたが、溺愛していた子供と会えなくなったショックから躁鬱のような症状に。
この1~2年でようやく落ち着いてきました。





私の両親も、私が中学2年の時に離婚。
そこから母子家庭で育っています。



離婚の一番の原因は父親。
自分の物欲が強く、見栄っ張りで金遣いが荒い。
私が産まれる前は、お金を拝借するために母親の職場まで押しかけたとか。



お金の事での喧嘩は日常茶飯事。



ついにキレた母親がゴルフクラブを手に取り、2番目の兄が止めに入ったたこともありました。



でも母親は、私たちがいるから我慢していたのだそう。
私たちにとっては父親だから、取り上げたら可哀想なのではないかと。


しかし母親からはしょっちゅう父親の愚痴を聞いてたし(今でも)、
仮面でも表面は仲良く映っていたならまだしも、
目の前であんなに喧嘩や父親と思えない行動を見て育っていたら、家族の形を留めておく意味ってあったのでしょうかね。



母親はよく、
「私の人生何だったんだろう」
と言っていました。



その言葉に、私は少なからず傷ついていました。


私たちのために母親は自分の人生を犠牲にしたのだと言われているみたいで。


だから、私は母に、
「離婚していいよ」
と言いました。


母親は
「いいの?」
と言い、その後父親と離婚しました。




それから10年近く会うこともなかったのですが、私に娘が産まれたタイミングで、また少しずつ会うようになりました。



父親は我儘で自分勝手な人なので、1人がさみしくなったのかもしれません。
母親に復縁を求めました。今までのことは謝ると。



母親はなかなか決断できませんでした。
だから私はまた背中を押しました。


当時、個人経営の歯科医院で長く助手として働いていた母親。
しかしありえない給料の安さだったため、父親が本当に変わる意思があるなら、母親の老後の経済面を考えたら、戻ってもいいのではないのかと。



その後押しで母親は、1番上の兄を連れ、籍は戻さず父親と同居することにしました。



しかし父親は結局変わりませんでした。


嘘をついてはカードで買い物をし、マンションも古いですが同居を機に購入したので、毎月支払いだけで給料がほとんど消えていくようなものでした。


私はもう住む場所は別でしたが頻繁に実家に行くこともあったし、母親からはしょっちゅう父親の話を聞いたり、
私の離婚後は大きな喧嘩になるとうちに泊まりに来ることもありました。



そんな事が何年も続き、母親はキレて父親のカードを握りつぶしたそうです。
それにパニックになり発狂した父親を見て、兄が警察を呼び、警察が間に入って話を聞き、身内が近くにいるならそこにいさせてもらった方がいいとの事で、うちに来ることになりました。


母親はよく
「やっぱり戻らなければ良かった」
と言います。


私の後押しのせいなのかな…と、その言葉を聞く度少し気持ちが沈みます。



母はもうマンションには戻らないと、兄と2人で暮らすことを決め、仕事を探し、今月の1日から介護職で働いています。



このまま一緒に住んであげたらいいじゃない、
家族なんだから。
と思われるかもしれません。



しかし、冷たい人間かもしれないのですが、
私は母親とは一定の距離感を保っていたいのです。




やはり長くなるので次のブログで。



それにしても、昔真ん中の兄が離婚したときに、「オレたちって家庭運に恵まれないよね」
と漏らしたことがありましたが、



ほんとにね笑





裕福じゃなくても生活できるくらいのお金があって。
喧嘩もするけど、何だかんだ笑ってる。
お父さんと、お母さんがいる。



こう書くと、すごく贅沢なことなのかもしれませんね。



ずっと漠然とした理想像みたいなのがありましたが、


子どたちと3人でいる時が、それに一番近づけた気がします。