☆本日、11月3日、日曜日、のち。
☆昨日から開催されている『第47回・安土町地域自治区文化祭』と出展されている娘の作品を見る為に安土文芸の郷へ行きました。
☆文芸セミナリヨ(ホール)では、舞台発表系の団体が分刻みで一年間の練習の成果を発表しておられ、あづちマリエート(体育館)では、安土学区と老蘇学区の、保育園から中学校及び安土町文化協会所属の団体の皆さんの展示系作品が館内一杯にキレイに展示されていました。
☆ところで、昨週、10月27日、私は近江八幡市防災総合訓練に参加しました。
☆その同日午後、沙沙貴神社で現在、行われています『楼門(県指定有形文化財)屋根葺き替え及び部分修理工事』の見学会に参加しました。
☆最初に、岳眞杜宮司さんから沙沙貴神社の歴史についてお話があり、続いて、滋賀県の担当官から境内の建造物について解説がありました。
☆簡単に申し上げますと、「1514年(499年前だ!)に佐々木六角高頼が境内を再造営したと伝えらていて、1791年の境内図には大社としての威容が伺えるようです。
1843年(170年前)の火災により本殿・権殿・拝殿が焼失しましたが楼門と廻廊は焼失を免れました。
現在の本殿・権殿・拝殿・中門・透塀は1848年(165年前)に丸亀城主京極高朗によって再建されたようです。」
☆と云う事は、「楼門は約500年前から建っているという事」ですね
築500年
☆さて、楼門の屋根の材料は「葭(アシ・よし)です。(因みに業界では材料が「草」であれば「かや葺き」と云うそうです。)
それで、葭の葺き替え工事は、地元の葭の専門家、下豊浦の「葭留」さんでした。
竹田勝博さんが工法について説明されました。
☆この時点で葭の葺き替え工事は約50パーセント進んでいるようでした。
「へぇ~っ」と思ったのは、屋根っの天辺の方は全部、新しい葭になるのですが、下の方は表面から4割が新しく、内側は既存の物を再利用するそうです。」
(それは、キレイな曲線を出す為だとか云っておられましたが・・・忘れました。)
☆気になったのは、葭が乗せられている下部の木造の棟の傷み具合です。
南の角のは普通でしたが、東の角は合わせ目が割れていましたよ(私が造っている「安土城」を思い出しました。)
☆ところで、翌日の中日新聞にも掲載されていましたが、今回の改修工事の財源ですが、「滋賀県のマザーレイク滋賀応援寄付金1200万円の他、近江八幡市の補助金400万円などを活用して来年3月には完成する予定。」とありましたが、その「など」の中には私たち地元氏子の「奉賛金」も少しではありますが含まれていることをお忘れなく











