☆今夜から、雨が降り続くらいです。(来週には台風も接近するようです。)

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☆雨の前に、無くなる景色を撮っておこうと、ちょっと「常の浜水辺公園」へ。

☆『常濱(じょうのはま)』は昔(中世の時代)・・・年貢米の積み出し港でした。

観音寺城の外港で、別名、『常楽寺港』とも云いました。

その東側の入り江を『寺内濱(じないはま)』と云います。

また、ここから北側の西の湖までの一帯は、水田と葭(葦/アシ/ヨシ)が生い茂る湿地帯が延々と広がっいて、『百間堀』と云いました。

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写真の「地図」では、ボールペンの先の部分が「寺内浜」です。

(描かれていませんが・・・。)

☆この地図は、以前、受講した、安土町公民館の郷土史教室でいただいたものです。

明治6年のものですが・・・、黒色の部分が港と水路です。

(地図の左側が『西の湖』へつながっています。)

よく見ると、「港」の廻りは「水路」が沢山ありますネ。

☆ちなみに、私の店があるのは、地図の上側の真ん中あたり、

水路をまたぐ橋の印があるのが判りますか

その橋を『錠の橋』と云ったそうですが・・・その横になりますネ。

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☆で・・・、中世から近代にかけて、この地で稲作や葭利用産業が盛んだった頃・・・、

「百間堀」一帯には、ちゃんとした道など無く、「田舟」が移動と運搬の手段でした。

寺内浜エリアの農民さんはこの浜に田舟を係留し、利用していたのでしょう。

今も、寺内浜から百間堀へ通じる水路が少し残っています。

その先は行き止まりで・・・この10数年の間に、すっかり「新興住宅地」となっていました。

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☆私が子供の頃(昭和40年代)、ここには、農業用の水路に水を供給する為のポンプ小屋がありました。

管理人の家も建っていましたが、何と今でも残骸が

その頃の名残りとして、今でも、ポンプの取水口と使われなくなった揚水路が残っています。

春、勢いよく水路の中水か流れていると紙の舟を浮かべて遊んだ事を思い出しました。

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☆で・・・、そのポンプ小屋跡の西側に、私の店に一番近い水田が1区画ありましたが、そこも、とうとう、この春、宅地に造成されてしまいました。

まもなく、最初の家が建てられるようで、もうこの場所から、東方の繖山(きぬがさやま)は見えなくなるのだ・・・と、今回、写真を撮った次第です

新た設置されたマンホールの蓋は「近江八幡」でした。

これも、都市化っていうのでしょうネ・・・。

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☆さて、『安土城』の方は、巻(107)の仕込みです。

今回は、イッキに塗装します。

まずは、ボウル紙に両面テープを貼ります。

次に「資材」を一つずつ立てていきます。

ここで大事なのは、部品の番号が判ることです。

なんかで印を入れたりします。

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☆そして、塗装します

まずは、ほぼ全部の部品を

次に、乾くのを待って、欄干の柱の上の部分を金に

(予め、下の部分をテープでマスキングして下さいヨ。)

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☆どうです

塗装は綺麗に仕上がりましたね。

(本当は、色塗装の前に、下地塗りの「サーフェイサー」って云うのを吹き付けるのが正解なのですが、面倒くさいので止めました。)