国債や通貨は政府の借金であって国民の借金じゃない、の行きつく涯て | 柾木のブログ

柾木のブログ

徒然に記したブログ

最近、経済の流れが変わってきたのでしょうか。
今まではとにかく緊縮し節約し増税するのがよいことみたいに言われ続けてきましたね。
国の借金!が増えたら増税で返さなくてはいけないから、政府がお金を作って使うと将来世代がツケを負わされるからダメだというように。
ところが時の首相が国会で

「国債は国民の借金ではない」

と言うまでになってきた。
政府が借金を増やしたら逆に国民が資産を増えるんだとか、実は税とは財源ではなく税金としておさめたらその金(負債)は消えてしまうんだ、と。
今まで信じてきた事がガラガラ崩れて来て何を信じてよいのかわからなくなってきます。
いちど立ち止まってあらためて考えてみたいと思います。

『金は消えない?』

今までは税金を集めてそれで財政やらなにやら使うんだ、という風に言われてきました。
でも金は政府の負債で税金で金を貯めることなんて出来なくて、徴収すると金(負債)を消すことなんだと。
……本当にそうなのでしょうか? 本当に税を徴収すると金は消えるのでしょうか? 
消えないのではないでしょうか。
だって通貨は「政府の負債」なのであって「国民の負債じゃない」と言うのですから。
借金を負ってない人が金を渡したところで借金は消えない。
それは単に金が移動しただけ、右から左に移っただけ、金をあげただけなのではないでしょうか。
借金を負ってる人が金を渡したなら、それは確かに返済で借金は無くなる。
政府が新しい金など作ってそれを自分に渡したなら、確かに返済となり古い借金はなくなるでしょう。
でも、なんで借金を負ってないはずの自分(国民)が金を渡したら他人(政府)の借金が消えるのか。

やっぱり税で金は消えないのではないか。
いやそれでも消えるというのなら、もう税とは政府が行うゆすりでたかりで盗みで横領といった犯罪紛いになる。
なぜなら他人の金を無理やり奪いそれで自分の借金を帳消しにしているのですから。
税がただの暴力となる
そして国民を支配する道具となる。
他人(国民)の金を奪い自分(政府)の借金を消そうとする暴力と映り、国民を痛めつけコントロールしようとする。
政府の負債は他の負債と違い特殊なのだから、政府に限ってそんな犯罪紛いの暴力を許す事になる。
そんな政府の犯罪紛いに巻き込まれない為には何をすればよいのか、政府にそんな犯罪紛いをさせない為にはどうすればいいのか。
自分の負担の税を軽くして、負け組に重税を押し付ければよくなる。
もしくは無税国家にすればいい。
税をなくせば政府は犯罪紛いができくなり政府を糺すことになり、国民は税金の重荷から逃れられいままで税金で取られら分を自分の金として使えるようになり経済も回り良いこと尽くしに見え、無税国家がよいものだと考えるようになっていくでしょう。

『貯まってしまう税金』

さらにです、税金で金が消えないのなら税収で金を貯めることができるようになる。
増税して金を国民から奪えば奪うほど政府の金が溜まる、貯めることができる。
そう、国債は通貨は政府の負債であって国民の負債じゃないのなら、税が財源になってしまうのではないか。
税収とは政府の収入になり、増税すればするほど国民を貧乏にさせればさせるほど良いことになっていく。

通貨というのは普通の借金とは違い特殊な負債なので他人の金で自分の負債を帳消しにしてよいということなのでしょうか。
必要悪だから税はいるのでしょうか?
税はインフレを抑えたり、不公平を治すのに必要だから政府の犯罪紛いを赦すというのなら、もうなんでもありになる。
増税をしないといった言葉をすぐに翻して増税をくりかえしてもよい、
政治家や官僚が国の金をちょろまかしてもよい、
将来世代にツケを残さないためといって緊縮して国民を痛めつけてもよい、
国民には金を使わず外国にだけ金を使ってもよい、
それらが国にとってよいことだ必要な事だと言われたならどんな事でも受け入れなくてはいけなくなる。
政府の嘘はよい嘘なので無茶苦茶なことやっても赦されるようになり、政府はますます暴れまわるようなる。

『誰が為に』

通貨は政府の負債だ!といえば自動的に資産が生まれるのでしょうか?
資産ってそんなに簡単に作れるの?
誰かがその負債に見合った物を価値あるものを欲する物を作ってくれたから、そしてそれを借用書を持っている人に渡してくれるからこそ、その負債は資産としての価値を持つのではないでしょうか。
返してくれなければその借用書はずっとただ紙キレのまま、ただの金属のまま、ただの電子データのままでしかなくなる。
数字の上では負債が増えれば資産は増えるのでしょう。
でもそれは空っぽの資産、ただの金融の資産が増えただけで物が増えたわけでもなく物作りの力が増えたわけでもない。
「自分」ではなく「自分達」という視点で見たら、金融資産という金を増やすのが目的ではないはずです。
そのお金をどう使いどう物を作り技術をえて、知識を蓄え、物作りの力を鍛え、その力を「誰の為」に使うのか。
誰かがその負債(お金)に見合うだけの物(資産)を作って渡すから、誰かの負債は誰かの資産になるのではないか。
今だけ自分だけ金だけの視点でみれば負債は返さなくてよく見えるでしょうし、他人に押し付ければ自分が勝ち組になれるように映るでしょう。

『税の別の姿』

国債や通貨といった金は政府の負債で国民の負債じゃない、とは今までとは違う新しい視点でよいことだ、これで経済を復活できるはずなのに、気が付いたら今まで変わらない、いえより悪くなる気がする。
なんでかヘンテコな考え方になり、どうどう巡りに嵌ってしまう。
なにが良いのか分からなくなり混乱して不快を感じるでしょう。
すぐに答えが分からないものを抱え続けるのは苦痛ですから。
言葉がぐちゃぐちゃになっている時は、その前提になっている考えや思想なんてものがグダグダになっていて迷路にはまり込んでいる。
でも自分を安心させてくれる安易な答えや出口に飛びつかず「なぜ?」を納得がいくまで筋が通るまで考え続ける事で見えてくるのがあるのではないでしょうか。
そうする事で税を、お金を、負債を別の姿で見ることができるようになるのかもしれません。
今だけじゃない自分だけじゃない金だけじゃない感覚で見たら、税でお金が消える意味も見えてくるかもしれません。

税でお金を納めると負債(お金)が消えるとはいったいどういう事なのか、どんな意味があるのか。