令和5年5月21日 | 津人のブログ

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3日間の日程で行われたG7広島サミットも今日の午後2時頃に閉幕。
主要7ヵ国とEUの首脳に加え、ゼレンスキー大統領及び、韓国、オーストラリア、インド、ブラジル、ベトナム、インドネシア、コモロ、クック諸島の首脳が招待された今回のサミット。
国際平和、国際秩序の堅持について、主要7ヵ国、EU、ウクライナ、先進2ヵ国、グローバルサウスの6ヵ国の間で強い結束が示された形になり、また、平和都市広島で開催された事で、核なき世界を目指すという認識も示され、改めて核兵器の恐ろしさ考えさせられたのが、このG7広島サミット。



というわけで、数年前に広島市に行った時の事を思い出してみた。


まず、人口119万人の大都市で、中国地方の商業産業の集積地になってる広島市は、やはり、都会だと思った。


目立ったのが、高層ビル。
その数は、中国、四国、九州では、一番多いとか。


おまけに、充実した交通システム。


広電の路面電車が市内を縦横無尽に走り、完全に市民の足として定着していた。


平日の日中でこの乗客の多さ。
おそらく、路面電車としては、路線距離も乗車率も日本一だろう。


おまけに、


第三セクターによる


AGT(自動案内軌条式旅客輸送システム)路線も存在し、交通の利便性を高めていた。



自分も、路面電車に乗って広島港まで行ってみた。
そう。市街地から港にまで伸びてるのが広電の凄いとこ。しかも大人1人たったの200円で行けてしまう。


着いた広島港。
瀬戸内海を望む風光明媚な港。


思えば、こうして瀬戸内海と直接対面したのはこれが初めてだった。
つーか、山陽地方に来たのも、これが初めてだった。


左手に写ってるのが、今思えば、サミットの会場になった宇品島だったんやね。


首脳達が集まった「グランドプリンスホテル広島」は、ここから見て反対側の海沿いにあるわけ。



そして、広島市と言えば、


やはり、忘れてはならないのが、平和記念公園。
まず強く飛び込んで来たのが、この石碑に彫られた「慰霊」という文字。
言うまでもなく、原爆で亡くなった33万3907名の方に対する慰霊という意味。


初めて目の当たりにした原爆ドーム。
この建物だけが、時が止まってる。それが見た時の率直な感想。多分瓦礫の位置なども出来るだけ被爆当時のままにしてあるのだと思う。
このほぼ600m上空で原爆が炸裂し、至近距離の熱線と爆風で一瞬で建物が壊滅し、中にいた人も即死だったとされている。
やはり、実物を見てようやく伝わってくるものがあると思った。何か、悲しい声で語りかけて来るようだった。映像や写真では決してない感覚がそこにあった。



平日の平和記念公園は、外国人、学生、児童などの見学者で溢れていた。外国人見学者については、アメリカ人の人が多いように感じた。核兵器の悲惨さ、核兵器のもたらす人間社会滅亡の可能性。そういったものに関心を持つ事は良い事だと思うし、その流れが広がって欲しいと思うばかり。


原爆資料館と、見学の子供達。
広島市内の小学生はやはり皆、平和記念公園を見学するのだと知った。


自分も原爆資料館を見学した。
犠牲となった方々の顔写真や遺品が目を引いた。特に犠牲となった子供の遺品を見るとあまりに辛く悲しい気持ちになった。なぜ、子供達が犠牲にならなければならなかったのか?
思ったのが、平和な世の中とは、子供達が犠牲にならない世の中なのではないかという事。難しく考えなくとも、そんな簡単な事なのではないのかという事。
そして、もう一つ思ったのが、街を作るのには長い歳月がかかるが、街を滅ぼすのは一瞬だという事。広島市は70年以上を経て今のような発展した大都市になっている。他のどの都市も何十何百年と経て発展してると思う。でも核兵器は、それを一瞬で壊滅させてしまう。
広島市は平和都市として、核廃絶を世界に発信する使命を背負っているのだという事を、広島市に行って知った。自分も被爆国の国民なんだから、あくまで核廃絶を発信しなければならないと感じた。




それにしても、広島サミットの警備態勢はさぞかし凄かったと思う。伊勢志摩サミットの時もそうだった。志摩市で石を投げれば警察官に当たるとまで書かれるぐらいの厳戒態勢だった。志摩市の人は近所の歯医者に行くだけで3回警察官に呼び止められ、伊勢神宮ではサミット効果で客が増えると思いきや、警備が厳重過ぎて逆に客が減ったという珍事も。いやー懐かしいな、伊勢志摩サミット。