人との関わり | 毎日が天からの贈り物 

毎日が天からの贈り物 

生きづらかった自分が
生きるのが楽しい
何をしていても
していなくても楽しい
と思えるようになった
きっかけや
いろんな体験を綴ります。

「弱い人を助ける」
先日霧島東神社で引いた
おみくじの言葉があったがために
そこに忠実にいかなきゃなのか?と
本当の自分のココロの声は
そこまでする必要があるのか?
と言っていたにも関わらず
頼まれごとに
イェスと言ってしまった

それが間違いだった
金銭的にも時間的にも
かなり負担がかかる作業
それを簡単にお願いする
相手の方の神経を考えた時に
この人はこういったことが
普通に頼める人なんだな…と。
だとしたら
これが普通なんだから
次々と頼まれるよな…と

そこで葛藤の渦が…

人に恵まれているなと思ったのが
年上のしっかりと自分の意見を
言ってくれる人を知っているということ
そこで彼女に聞いてみた…
こんな感じなんだけどと…。
朝いちばんに電話して
そしたら午前中に早速時間作ってくださって
会って話ができたのがラッキーだった

話してみて
すっきりした…
出来ないことまで
いいよという必要はない
出来ないことは出来ないという
言っていいんだよという
許可を自分に出しなさいと
教えてくれた

そうだよな…
結構なんでもかんでも引き受けてしまう

ほら…頼まれごとは試されごととか
言った人いたよね?(笑)
彼も実際全部が全部はいっと
返事を0.2秒で言ってたんだろうか?
疑問に思うことがある

それで…ま、人はいいや
自分に問いかけてみた
何が引っかかるのか?
自己わもんが始まる
ココロに耳を持っていく
聞いてみる

すると…いい人と思われたい
できれば敵を作りたくない
悪く言われる事はいい気分がしない
まだそこだったのだ

人が(相手が)主体になっている
自分が主体ではない
自分がどうしたいのかに
フォーカスしてと周囲の人には
言っておきながら…なんと!
私自身まだそこら辺にいたのだ

で、結局
その方に事情を話して
今後もこういったことは
頼まれても出来ないと伝えた
かなり勇気が必要だった

私は身の丈でできることをやっている
身の丈というのが大事で
それ以上のことは
負担になるからだ
負担になったらどうなるか?
たとえ良いことだったとしても
楽しくない

余生を楽しく暮らしたい
そう思ってる自分には
選択肢は自分がどう思うか
どう感じるかでいいんだと
思っていたはず…
今回の出来事でまたひとつ
自分の殻がとれた♪

今回の件で相手の方と
関係が切れるのなら
それは必要必然ベスト
いいのだと思った
そんな事に時間を割いてる暇はない
この瞬間が大事だからだ…


なんかすっきりした~
今日は午前中は曇ってたけれども
午後から晴れたよね
そんな空模様と同じココロ模様だった

あ~すっきり