これは、

わたしの体調が激不調になり

無職になってから、

 

 

お金を稼がない自分を

焦燥感、

ふがいない、

なんの役にもたっとらん、

果ては価値がない、

 

 

みたいに思ってしまった

 

 

そんな考え方を変換させて

ラクになれた

 

 

そんなつぶやき。

 

 

働く の意味って?

 

① うごく。

② 精神が活動する。

③ 仕事をする。

④ 労働する。

⑤ 他人の為に奔走する。

⑥ 効果を表す。作用する。

⑦ 機能する。

⑧ 活動する。

 

働く の 語源・由来って?

 

はたらくという語源は、「はた」 という 擬態語 の 動詞化 と考えられている。

  例) はた → はためく ( はた + めく )

 

本来、

「はたらく」 は、

止まっていたものが急に動くこと表し、

そこから体を動かす意味なった。

 

 

さて、ここで 「 働く 」 という漢字を分解。

「人」  と 「 動 」  という漢字になる。

 

更に、

「 動 」  という字を 「 重 」  と 「  力 」  という字に分解。

 

「 重 」 → 上下をくくった袋の中に穀物が入っている様子

「 力 」 → 農作業で使う道具「鋤(すき)」の形

 

そこから 「 動く 」 という漢字は

「 農作業に従事する ・ はたらく 」 という意味になったらしい。

 

 

 

 

労働の意味で用いられるのは鎌倉時代からで、

それがいつからか

【 動く = はたらく 】 という意味が薄くなり

「 うごく 」 という意味だけで使われるようになる。

 

 

その後、明治の近代化にともない

欧米語を翻訳する際に必要になり、

 

 

【 動く 】に、【 人 】( にんべん ) を添えて

【 働く 】 という国字ができた。

(  国によってつくられた漢字。のち、中国へ逆輸入して使われる。 )

 

 

 

よく聞く、

「 傍 ( はた ) を楽 ( らく ) にする 」 = 「 他者を楽にする 」

があるが、

本来このような組み合わせで動詞が生まれることはありえず

「言葉遊び」であって語源ではない。

 

↑↑↑ 「 語源由来辞典 」 さん ・ 「 【漢字ドヒリア】「働」の成り立ち物語 」 さんより引用 ここまで。

 

 

と、バッサリ。

 

働く = お金を稼ぐこと やと思ってた 真顔

 

言葉遊びであったという

「 ハタ を ラク にする 」 ということ。

 

 

 

だれよコレ広めたの。

 

 

 

端的に

労働 ( 仕事 ) をすることは、

傍 ( はた ) つまり 家族や自分を楽 ( らく ) にする

ことなんだと考え、

それが正解やと思ってた。

 

 

これは、つまり

現代では

お金を稼ぐ

ということだ。

 

 

お金を稼ぐことで

家族や自分をラクにする。

(物理的に自分はラクじゃないけど ドクロ)

 

 

逆から考えると、

 

 

お金を稼いでいないことは

労働していないことであり

働いていないということであり

ハタをラクにしていない

 

 

ということである 真顔

 

 

 

この考え方が自分の中にあると、

 

 

 

お金を稼いでいない自分は

なんの役にも立っていない者である。

= 貢献度少な !!ムカムカ

 

 

という、

方程式ができ上ってしまっていた 十字架

 

 

 

そうじゃないんよ パー

 

 

 

働く という定義の変換作業をする

 

お金をたんまり稼ぐことで

評価されることが多い現代、

自分の中にも、

そのお金の稼ぎ度で

人を評価してしまっている自分がいたことに気付く もやもや

 

 

こんな自分の観念を溶き放つには

試行錯誤があったんやけど、

自分の中の働く定義を変換したら

自分がラクになる。

 

 

お金を稼ぐ額が大きいほど

貢献度も大きい、というのは確かに事実だとも思う。

 

 

お金を稼ぐ額がわずかだから、

貢献度もわずか、

よって、

その人の価値があまりないような

そんな捉え方をしがちになってしまいそうな自分がいた。

 

 

 

稼いだお金は、

どれだけ動いたか

ということによる副産物。

 

 

 

稼ぐことに注目するんでなくて、

自分が動いてることに注目する。

 

 

 

お金という産物に繋がらなくても、

自分が動いていることは

なにかの役に立っている。

 

 

 

貢献度が大とか小とか

そういうことではない。

 

 

 

と、考えられないだろか?

 

 

 

今、自分ができることをしたらどうか。

 

それが全くお金を産みださないことでも。

 

 

 

例えば、

 

 

道を歩いてて、ゴミ落ちてた。

ゴミ拾う。

誰も見てない、なんの役にもたってない。

でも、地球はきっと喜んでる。

 

 

   

あざーっす !!  ( 地球より )

 

 

外でトイレに入った。

トイレットペーパーの切れ端がハラハラと散乱してた。

( 女子トイレあるある )

拾って、綺麗にして出る。

次の人はそのことは知らない。

でも、きれいな状態のトイレを使える。

 

 

 
あざーっす !! ( 掃除のばっちゃんより )

 

 

きれいな花が誰かのうちの家先に咲いてた。

とても気持ちが和んだ。

その家の人の

花を植えた気持ちが

道行く人の気持ちを和ませるのに貢献してる。

 

 

 
 あざーっす !! ( わたいより )

 

 

これなんかどうだ ↓↓↓

 

 

道ばたの木々が

なんとも美しい花のグラデーションを

かぐわしい香りをはなって咲き乱れている。

道行く人々は、その美しさに感動する。

 

 

 

これはもう人の域ではない。

木は木で自分のできることをしてるだけ。

( 動いてる )

 

 

 
wow やんか!!!

 

 

これらの動きは何のお金も産みださない。

誰に評価もされない。

( 木の話以外ね )

 

 

 

お金に繋がらないことでも、

こんな小さな何気ないことでも、

これってなんか役に立ってないか?

 

 

 

別に、

役にたつでーっグー って意気込んで

役に立てることないか探す必要はない バツブルー

 

 

 

ただ自然に。

自分がしたかったら、したらいいだけ 真顔

したなかったら、せんかったらいい バイバイ

 

 

 

大事なんは、

そんなことした自分に

なんかすごくない ?

すてきやん自分

言ってあげることなんやなかろうか。

 

 

 

たくさん稼げてるから凄いんではない。

たくさん稼げてないから凄くないんでもない。

 

 

 

動き度少ないから

稼ぎ度も少なくなるねん、

なんてことも考える必要なんてない。

 

 

 

多い少ないの問題でもない。

多いがいい、少ないがよくない、

てのは固定観念ではないやろか。

 

 

 

ビジネスしたい人は、

ビジネス好きな人は、

経済動かしたい人は

たくさん動いてお金産み出したらいい。

 

 

 

お金を産みださない働き方 ( 動き方 ) も

それはそれで とても尊い。

 

 

 

お金の稼ぎ度で

その人の価値をはかれるような

人間て、そんなもんではない。

 

 

 

現代、生きてくに

お金は必要やけど。

 

 

 

お金が必要な世界でなくなったら、

今してること (仕事) する ?

 

 

てぇ問いたい 真顔

 

 

 

究極、

なんも動かなくても、

存在しているだけで本当は貢献してる。

 

 

 

大元の宇宙にとって

自分の存在はとても貢献している。

( はぁ??  なに言うてんの ??
という方、ここはスルー )

 

 

 

瞑想してる効果度も大きいのかもしれんが、

自分が生きてるだけでも

貢献してるんや

と思える根拠のない安堵感あり。

 

 

 

 

お金稼ぎ度では到底計り知れない

素敵な自分ていうもんが

根底にあるということに気付くと、

 

 

お金を稼げてない自分を

責める気持ちが

なくなったようだ。

 

 

 

 

わたしはわたしでいいのさ。

 

 

 

 

 
 
ヒャッハー !!! 

 

 

 

働くってどういうことなんか、

自分なりの定義に変換してみたら

なんらかの変化が

自分の中で起っておもしろいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。