久しぶりの投稿です😅

秋空を眺めていたら、鶴のような雲を見つけ、木下順二作の夕鶴という話を思い出したんです


ざっとあらすじを書いてみます

与ひょうという貧しい男がいて、ある日罠にかかった鶴をかわいそうに思い、助けてやる
すると、その数日後、つうという美しい女がやってきて、女房にしてくれという
つうは、美しい布を織り、それは高い値で売れる
欲にかられた与ひょうは、嫌がるつうに何枚も布を織らせ、決して覗いてはならないという約束を破り、織っている姿を見てしまう
正体を見られたつうは、鶴に戻り、空に飛んで行ってしまう
という物語です

もともと与ひょうは、罠にかかった鶴を助けてやるような心の優しい男だったはずなのに、傷つきやせ細っていくつうに、布を織ることを強要するようになる
このように、思いがけず大金を手にした与ひょうは、欲にかられて変わっていってしまうのです

この時、無理をさせず、つうを大切にしていれば、一生この幸せが続くという可能性もあったのではないかと私は思うのです


このように思いがけず大金を手にした時に、どうするのかを、神様はじっと見ていると思うのです
それは神様の試験とも言うべきものでしょう

すぐに浪費してしまうのか、貯め込むのか、与ひょうのように、もっともっとと欲張るのか

また、このことは、他のことにも同様に当てはまります
親切な人と知り合った、貴重なものをもらった、急に能力が開花した、など、濡れ手に粟、棚からぼたもち的な、思いがけない幸運に巡り合った時にも、神様はじ〜っと見ているのです

大切にするのか、粗末に扱うのか、人のために使うのか、私利私欲に使うのか、はたまた、図に乗ってさらなる要求をするのか、…

それを見て、神様が合格だと思ったら、さらなる幸運を下さり、不合格だと思ったら、学びを下さるのです
この学びも、決して悪いものではなく、人格を向上させるための神様の愛で、ありがたいものなのですけれどね


神様の試験の合格基準が、どこにあるのかはわかりませんが、幸運に浮かれすぎず、立ち止まって周りを見たり、考えてみることも必要ですね


そして、やはり、欲を貪るような貧しい心は、さらなる貧しさを引き寄せ、
感謝や思いやりという豊かな心が、物質的な豊かさのみならず、さらなる幸運を呼び寄せるということなのだと、思わざるを得ません


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました😊💖💖