3才と1才の兄弟です
大人の目線よりも高い位置に自力でのぼれた子ども(3才)は
自分の力を実感して、気分が大きくなっています。
高い位置から、いつもの自分の生活空間であった下界の世界を見下ろし、
今までは、見上げるばかりだった天井の照明が手を伸ばせば触れそうな所に自分がいます。
照明器具は、絵に描いたものではなく、ボクは手を伸ばし
実像のあるものだと証明できた、わけなのです。(写真1・2)
この時期の子どもには、見ただけではなく
できるだけ触角をとおして、リアルな実感を体験させてあげたいものだと思います。
1才坊やは、3才お兄ちゃんを見上げて
めいっぱい背伸びをしています。
下の坊やは、上のお兄ちゃんに、憧れているみたいです。
人差し指のてっぺんから、足のつま先まで全身で、高い雲の上の存在に
気持ちが同化するように、文字通り全身全霊なのです。
3
高い雲の上の存在のお兄ちゃんは、上から雲の糸を下ろしました。
白いロープを下界に向かって垂れさげたのは、お兄ちゃんの意志です。
見上げる1才坊やの目には、ゆれるロープは眼中になく
自分では到達できない位置で、自在に動き回るお兄ちゃんの存在が気になるのです。
4
お兄ちゃんの心中は、下の小さなボクと交流を図りたかったのかもしれません。
しかし、お兄ちゃんの表現力には、限界もあり、
自分の意図することを(上の位置から、下の世界に向かって操作したい)
自在に思い通りに、ロープの先を操ることはできません。
そこで、お兄ちゃんは自らの意志を行動におこします。
下界に降りて行って、ロープの先におもちゃをくっつけ、
また、上にあがっておもちゃごとロープを動かし・・・
ロープの先のおもちゃを取り換えたいが、1歳ぼうやは頼りにならないから
また自分で降りて、違うものに取り換え・・延々と遊ぶのです。
5
1歳坊やと3歳お兄ちゃんは、平行遊びとなっているのですが、
互いに相手は意識しては居るのですが、対等に交流するコミュニュケーション力が
足りないために、それぞれが自己完結する動きをしているのです。
この場では、延々黙々と並行遊びが続くのですが、
これは、相手がいなかったらこんなに集中して遊べるものではないのです。
年齢差があって、一緒に遊べる力がなくても、
そこに、相手の存在があるというだけで、新たな思考がわき、
相手を観察し、何かに気づくという脳内刺激がおこっているのです。
大人がそばにいて、とやかく振り回すより
子ども同士の交流は、目に見えないところでドンドン発展し膨らんでいるものです。
大人は、自分の身の回りのことにふりまわされすぎて
子どもの内面のことを思いやり観察することを
ついつい忘れがちです。
子どもの世界をズームをひいて、映画を観賞するように見つめてみることも
たまにはよいと思います。
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