幼児期の4年間をアメリカで過ごした帰国子女もどきの俺は、殆ど英語が使えない。
ムコウの教育課程のお世話にならない限り、英語圏で生活しても英語が使えるようにはならない。ということを身をもって理解している。
アメリカに住んでいる間、家族で使う言語は日本語だったし(母親に至っては英語は決まり文句しか言えない!笑)、なぜか友人に日本人が多かった。
まぁ、英語が話せない母親が付き合えるのは所詮、日本語を操る人間しかいなかったということだろう。
日本に帰国して、そろそろ14年の歳月が経とうとしているのだが、その14年間のすべてにおいて、俺の生活に英語が離れることはなかった。
帰国して日本の幼稚園に通い始めた俺は、親の意向で英会話スクールに通わされる。
筆記体を一生懸命なぞった記憶も、「海は浮き輪でプカプカ浮かぶのが一番」と日本語で言った太った女性外国人教師のことも、もんじゃ焼き屋が近くにあったことも、よく覚えている。
俺は間違いなく、英会話スクールに通っていた。
小学生になった俺は、今度は自らの意向で英会話スクールに通う。
外国人と喋るコミュニケーションクラスと、日本人が教科書で教える文法クラスの2つのクラスをとった。
イケメン外国人が友達が飼っていた犬と同じ名前だったのも、日本人教師がものすごく下ネタ好きで放送禁止用語を多用していた若い男性だったことも、教室の窓からテニススクールのコートが見えたことも、よく覚えている。思い出すと、あの下ネタの過激さに笑えてくる。
俺は間違いなく、英会話スクールに通っていた。
中学生になると英語が必修の課目となり、こちらから歩み寄ることなくとも、英語から近づいてきてくれる環境になった。
一生使う人も、大学受験で手を切る人もいるだろうが、今俺はまさに英語必修の渦中にいる。
さて、どうして俺は英語が使えないのだろうか?
今まで生きてきて、英語がなかった年なんて1年たりともないのに、ずっと学び続けてきたのに
どうして俺は英語が使えないのだろうか。
俺が英語に関して優位を感じられたのは、小学生のときにちょっとだけあった簡易英語授業のとき、
"How are you?"の返事を"uh...So-so."と答えたときくらい笑
英語の偏差値が60だとか、英検1級だとか、TOEIC700点だとか、洋画を字幕なしでペーパーブックを対訳なしで読めるとかくらいの優位はあってもいいはずなのに、俺は平均的な高校生が持つ英語力しか持っていない。
ことになっている。
そういうデータを、学校から、駿台から、代ゼミから、頂いている。
誰のせいだと探しだすと、すぐに犯人がわかる。
俺の、目標のせいだ。
幼稚園児と小学生の時は「なんとなく」
中学生と高校生の時は「点をとるため」
と思ってしまったのがいけなかった。
俺は幼い頃からませた人間だったため、「今、なんとなくやってるよなコレ」とか「コレ実際、点を取るためにやってるよな」なんてことを思いながら、つまり、自分で勝手に限界を造って、英語を勉強してた。
純粋無垢に、なんにも考えずに英語をやっていたら、今よりも英語は使えていた。間違いなく。
俺は今まで、英語を嫌ったことはない。
英語学習をやり続けてきたのも、英語が好きで、欧米が好きで、日本以外の世界が好きだったからだった。
俺が"英語大好き教育の操り人形"として今まで英語を学んできて、この時期にその無垢さを恥じることができたなら、
どの高校生よりも英語ができ、どの大学生よりも英語が上達したに違いない。
悔しい!>< 笑
なにも考えずに、好きなことをバカみたいにやってみることも大事だよ、という話。
貴女への愛と、仰羨、努力をこめて。
Rh+
