東京たてもの園内

ボンネットバス発見!
photo:01



いすゞ自動車です
photo:02




私が学校に上がる頃までは
バスは全部ボンネットバスだった
国鉄バスと林田バス(ローカルですね)
車内は油とディーゼルエンジンの排気ガスの匂い
車掌さんがいて、そうそう、黒い小さなカバンをお腹に付けていた
左手に切符の束を持ち、右手のハサミで、乗った場所と行先にパチン、パチンと穴を開け、
「○○から△△ですね、□□円です」と切符をくれ、お金を黒い小さなカバンに入れていた。男の車掌さんが多かったな。夏は白い開襟シャツ、冬は紺のブレザーを着ていた




エアコンなんてない時代、
夏は蒸し風呂みたいだったが、次のバス停まで走る間、開け放された窓から
勢い良く入ってきた風が、後ろの窓へ吹き過ぎていった、しばし暑さを忘れるほど爽快だった
四駆の、大きなタイヤを着けたバスは
デコボコの田舎道などものともせず走ったが、乗ってる方は手摺や握り棒にしがみついていなければならなかった。





天井には換気口があって
見上げると青い空がのぞいていた
こんな感じ
photo:04


満員の時は、大人たちの間で押しつぶ
されそうだった。バスは好きだったが、そういう日は、バスを下りるとほっとした


バスだけでなく、荷物を運ぶトラックもボンネットだった
当時祖父は製材所を営んでおり、その敷地内に建っていた家に家族で住んでいたから
学校から帰ると、工場が遊び場になった
トラックは杉や檜の丸太を積んで入って来て、板や角材に積み替えて出ていった
野積みされた丸太の上を飛び歩いたり、飛び降りたりして遊んだ、丸太が動いて、足を挟まれたこともあったが、危ないからと、遊びを禁止されたことはなかった、と思う(^o^)
丸太の山では宝物がよく見つかった
カブトムシやクワガタに歓喜した

叔父はトラックの運転手だったから
整備の時は、運転席に乗せてくれた
大きなハンドルを握り、回す真似をして遊んだ
photo:03


そう、こんな感じ

面白いのは方向指示器
こんな感じの
photo:05


腕木式方向指示器


懐かしい(*^_^*)
photo:06




iPhoneからの投稿