山小屋で、、、。 | 奇言雑言

奇言雑言

TUGUの脳内再生中のあれやこれや。

ふと、したことで記憶の蓋が開いて。

 

思い出したことがあるので覚え書きとして

残しておこうとおもったのです。

 

なにぶん、、、、長いこと頭の中で寝かされていて

ところどころ、記憶が抜け落ちているようであるし。

 

現存する場所であったり。

風景であったり、と言うものも今とはかけ離れているであろうから

そういう、曖昧なものであるということをご了承いただいて

 

まあ、暇な方。

ちょっとお付き合いくださいませよ。

 

∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵

 

今から、40年近く前の話になるのですが。

家族で山へ行き。

 

なんだかんだあったけど、その日宿泊する予定の山小屋へたどり着いて。

 

当時、小学3年生ぐらいの私は

大人がほとんどの山の中において、とても珍しい存在であったので

知らない大人達にたくさん話しかけられて

さっきまでの山の中での出来事であったり

お風呂に入って気持ちよかったり

自炊して食べた晩御飯がおいしかったり、って言うのを

 

ぼんやりと、一人。

反芻していたのです。

 

 

 

山小屋の1階部分にある土間に

一人で、ストーブにあたりながら、ぼんやりとそういう時間を過ごしておったわけなんです。

 

 

一人でしたが、山小屋の中のザワザワした気配は

壁の向こうの食堂から絶えずありましたから

寂しさはなくて。

そのザワザワした気配を耳で拾いながら、

視線はチロチロ燃えるストーブの火を追っている。

 

 

そういうところへ

 

「今日はたいへんだったねぇ、大丈夫だったかい?」

 

顔を上げると、斜め前の椅子に知らない人が座っていて

山にいる大人はみんな、「大人」でしたがその人は

明らかに「老人」なのでした。

 

老人の顔は、ストーブの火の色がチロチロしていまして

白髪で、背はそんなに高くない、小さい、「おじいさん」である

というのがわかりましたが、詳しいことは覚えておりません。

 

その老人が、話しかけているわけです。

 

「雷、怖くなかったかい?お父さんもお母さんも大事無かったかい?」

 

怖かったし、お父さんは途中で転んで

びっくりしたし。

でもみんな無事でした。

 

というようなことを老人に返して

 

老人が そうか、それは良かったと言って

 

しばらく、老人と話をしていたのです。

 

その間、誰も土間に降りてきませんでした。

すぐそばの食堂には人が結構いて、時々

「どわはははははっ!」っていう笑い声がしてたのを

覚えていますが、そんななのに

土間には、私とその老人だけなのでした。

 

老人はいろんなことを聞いてきて、それは

・山は好きかい?

・今までどんな山へ行った?

と言うような、本当にちょっとした話で。

 

昼間も、いろんな大人達から

・どこから来たの?

・何年生?

とかいった似たような話をされているのですが

私はそれに答えていき。

そういうやり取りがしばらく続いて

 

「富士山は知っているかい」と言う話になり。

 

当時、夏休みにサマースクールで

朝霧高原へ行っていたのですが、その関係で

富士山は知っているし。

観たこともあると返答して、

 

「そうか、そうか。」

「それじゃ、富士山にはまだ登ってはいないのだね?」

 

登っていません。

私がそう答えると

 

老人はそれを聞いてこんな話をしだした。

 

山の中には、、、、

人を喰う山があるんだよ。

 

食べる、、、?

 

そうさ、人を食べるのさ。

食べられた人は、死んでしまうか

何かを取られて、違う人に成り果てるのだよ。

 

山で人が時々死んでしまう。

現実にそういう事故があったりすることは知ってました。

その日も

私たち家族のすぐ後のグループには滑落して

肩を脱臼する怪我をした人がいて。

夕食前に、ヘリコプターがきて運ばれていったのを

見たばかりでした。

 

富士山はこの国にある山の中でも

特別な山なんだよ。

・・・・・・あそこはね、山のようであるけれど

実際は、山などではない、そういうものなのだよ。

 

山でなければ、何であるのか?

と言う疑問よりも。

富士山が、本当は山ではなかった。といのが衝撃だったのを

覚えています。

 

富士山は、人を喰うよ。

あれは、怒らせると手がつけられないものだから

もし、登るのであれば、気をつけなさい。

 

山と呼ばれるものの中には

人を好んで喰う山があり。

 

そういう山に、軽々しく近づき、無礼を働くと

喰われる。

だから、山に対しては礼を尽くしなさい。

 

どんなものかわからないものに対して

無礼を働いてはいけないよ。

 

今のまま、まっすぐでいなさい。

 

正直、老人の話は

理解のできない話でした。

頭の上に、「?」がたくさん出ていたことでしょう。

 

まっすぐでいろ、といわれても

なにが、どうあれば「まっすぐ」なのだろうか、と言う疑問すら

そのときは沸くこともなく。

 

ただ、

子供のころの自分は。

富士山を見て

「大きいなぁ」とか「綺麗だなぁ」とは思いますが

「登ってみたいなぁ」とは思わなかったんですね。

だから、

老人にそのことを伝えたわけです。

 

山は好きだけれど。

富士山も綺麗だとは思うけれども

「登りたい山」ではないのです。と

 

子供ながらに、大人と話をすることに躊躇がないと

周りの大人から面白がられていた私ですが。

 

この老人との数分間。

 

今思い出して見ても、私の人生において

なんとも奇妙なやり取りで

そして老人は私の返答を聞いて

 

「そうか、そうか」と笑ったのです。

 

老人がとてもとても楽しげに笑うので

うれしかったのを覚えています。

 

そこへ、

山小屋の人が ひょこり 廊下から顔を出して

話しかけてきまして。

 

「あ、こんなところに」

「お母さんが探してたよ」

 

で、奥のほうへ向かって

「こっちにいましたよー」って声をかけて

 

奥のほうから「すみませーん」って

母親の声がして。

で、

母の姿。

 

「もー、こんなところにいたのー?」

「何もないじゃないここ、なにしてたの?」

 

このおじいさんと

山の話を、、、、、、、、。と言いかけて

チラリ、おじいさんのほうを見た。

 

さっきまで

そこで笑っていた声も、老人の姿も

どこにもありません。

 

ストーブと椅子。それだけ。

 

声は、頭の中で微かに響いています。

しかしその声も、母の声で消えかけています。

 

「おじいさん、いなくなった。」

 

え?おじいさん?

どこの?

 

「おじいさんがいたんだよ、そこに」

 

山の話をしたんだよ、でもいなくなった。

 

怪訝そうな顔の母。

弟もやってきて、3人で部屋に戻って。

 

そのまま、、、、

 

朝になったらそんなことがあったことを

完全に忘れていて

 

そして、つい、2週間ほど前でしたか

突如として

 

脳に出来事が思い出されたわけです。

 

あのおじいさんは、なんだったんでしょうかね?

なんでいままで思い出されなかったんでしょうかね。

 

ちなみに、今現在

私は山へ行きたい、ですが

諸々が重なり

自由に家の外で好き勝手はできない状態にあります。

 

茶臼岳に、いきたいなーって。

思っているんですけどね、いつになるでしょうかね。

 

山は人を食べてしまう、そういう存在なのだよ

という話でした。

 

長いこと、それなりに山との付き合いはありますが

この年になって

実感することがありますね、、、、。

 

山は、山の形を成してはいるけれど

山に非ず。

 

山は時々人を喰う。

山に食われし人

人に非ず。

 

人が山と呼ぶもの、

神とそれに近しいものなり。

 

 

あの老人に問いたい。

私は、今まっすぐでいるでしょうか?

 

どうなんでしょう?

 

ではではまた。

バイバイばいばい。