山形へ行ってきました。 その3 | 奇言雑言

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TUGUの脳内再生中のあれやこれや。

さてさて山形、最終日です。

 

本日は、鶴岡市内を観光。と言うことになっているんですが

何処へ行ったものかしらね、、、、。

 

湯野浜温泉の泊まった宿でパンフレットをみて

良さ気な場所を探しました。

 

で、いろいろ検討した結果。

行ったのは、こちらです。

 

鶴岡公園

 

鶴岡市と言うところは。

庄内藩があったところです、庄内藩は酒井家が代々藩主を務めていました。

 

初代は徳川四天王の一人、酒井忠次と言う人です。

 

むかーしむかし。

 

元亀三年(1572年)の12月22日

三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)の戦いで

徳川家康が武田信玄にボロ負けするということが起きました。

 

家康はこのとき、沢山の家臣を失って。

ウンコを漏らしながら命からがら浜松城に逃げ帰ったのです。

 

ウンコをもらしながらも逃げる家康を

追う武田軍も浜松城にやってきます。

 

ところが、その浜松城

全ての城門が開けっ放し。篝火が焚かれていました。

櫓の上では、酒井忠次が景気良く太鼓を叩いていました。

 

もうこの城には、反撃するだけの兵力は無いはず、、、、。

だが、、、、これは、、、、罠なのでは!?

 

武田軍は、そうして浜松城を攻めることなく、帰って行きましたとさ、、、。

 

この酒井忠次が太鼓を叩いて武田軍を追い返したエピソードは

「酒井の太鼓」っていいまして。

歌舞伎の演目にもなっているんだって。

 

その後、徳川の為に尽くした酒井さんは、庄内藩の藩主になりました。

社交性があって、教養もあって。

人脈もあり、人望もあったお殿様だったそうですよ。

得意なのはダンス(舞踊)『海老踊り』って言うのが得意だったんだって。

 

酒井家は、徳川の世が終わるまでズッと、庄内藩を納めてきました。

徳川幕府を助けながら。

国内トップクラスの米どころになる基盤を着々と進め。

庄内藩を豊かな土地にしていった酒井家の人達は

庄内の人達からとても愛されていた。

 

江戸時代が終わっても、酒井家を慕う庄内の人々は

酒井家を祭った神社をお城のあった場所に作って

今でも、心のよりどころとして神社は大事にされています。

 

鶴岡市の鎮守さまですのでこれは、素通りできません。

お参りします。

 

お参りしたのは、鶴岡公園の中にある庄内神社さん。

公園の敷地はとても広大で

庄内藩主酒井家の御用屋敷の庭園もあります。

 

お参り後にこのお庭を訪れて

お抹茶を頂きましたw

 

お庭があるのは、公園に隣接している致道博物館です。

 

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明治に作られた西洋風の建築物が

移築保存されています。

 

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お茶室から、お庭を眺めつつ、、、。

 

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いただきます。

 

 

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綺麗なお菓子だったのw

 

 

ところで。

TUGUさんはゲームとかをやらない人なんですが。

巷では、こんなゲームが存在するのだそうですね。

 

刀剣乱舞

名立たる名刀が戦士の姿となった=刀剣男子(とうけん-だんし)

プレイヤーはこの刀剣男子を育成して白刃隊(はくじんたい)を組織し、

敵と戦っていく。

 

と言うゲームであるらしいのです。

で、

 

庄内神社には、先ほどから申し上げている通り

酒井家が祭られていて。

その酒井家には、代々受け継がれている名刀があるわけです。

その名は

『重要文化財 短刀 銘 吉光 名物 信濃藤四郎』

 

ただいま、この酒井家の名刀が

致道博物館 秋の特別展「刀剣と甲冑~重要文化財色々威胴丸修復記念~」にて

展示公開されていて。

このゲームに出てくる 信濃藤四郎とのコラボが行われています関係で

 

神社さんと、博物館のほかにもいろんな場所で

 

 

このキャラクターの姿を見かけましたw

 

 

キャラクターイメージの全身図画が

まさかの短パンでびっくりです。

 

 

 

 

いろんなものを擬人化するものなのですね。

こういうの、鉄道とかだけじゃなかったんですねw

 

今回の旅も

行ってみてびっくりなことが多くて楽しかったです。

鶴岡市には他にも行ってみたかった場所がありましたが

またの機会に。

 

ではではまたね。

(。´・∀・)ノ゙ バィバィ~