☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



秋風に 乗って聴こえる お念仏


南無阿弥陀仏と 身が響く



あぁ この出遇いこそ あり難い


なんまんだぶつ なまんだぶ



今ここ この身に 念仏生きる


こんな私の為にある



南無阿弥陀仏に 生きる道


真実どこにある?という


真実きくは お念仏



ともに生きよう 手を伸べて


ともに歩こう 手を繋ぎ


ともに悩もう 肩を抱き



一人がゆえに 孤独じゃない



南無阿弥陀仏が 私を運ぶ


みんなの笑顔が そこにある



あぁこの出遇いこそ あり難い


なんまんだぶつ なまんだぶ



今ここ この身に 念仏生きる



こんな私の為にある



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



ふっと体に沸いてきて、こんな詩を書いてみました。


人生いろんなことがあり、裏切り裏切られ、傷つけ傷つき、

犯罪とならない殺人は、この世の中、たくさん在るな~と感じます。


言葉や行為を軽々しく過ごしている私たち。

他人を傷つけていませんか?

言葉で、行為で、人を殺していませんか?


私ごとですが、よくしてしまっているんです。

感情が突発的に出る性格ですから、よく人を傷つけ、

犯罪にならない心の殺人を犯しています。


なんと恐ろしいことでしょうか。


そう気づきながらも、また犯す。


殺人は、死に追い込むことだけではない。

そのことを、今日もまた、改めて、お念仏申し、思わせて頂いております。


腹立ちではなく、ありがたさが今この胸にあります。


どんなご縁であろうと、また、教えていただいた。

本当に腹たつことも、お念仏に自分をたずねてみれば、

自分の間違いに気付き、頭がさがるわけであります。


こんなどうしようもない私だからこそ、お念仏しかないのです。


そして、お念仏、南無阿弥陀仏が私を助けてくれるのです。

支えてくれるのです。育ててくれるのです。


時に腹立たしい時も、お念仏もうし、仏の前に座ると、

自分のいたら無さを、まじまじとお教え下さるのです。


他人中心では、他人のせいになります。

私中心に、今起こっている問題を見て、仏様にお尋ねしていく。

他人も自分も信用ならんものなんであります。


阿弥陀さま、そして、親鸞聖人の生きたすがたに、お聴きし、

自分の考え、在り方、過ごし方を問うていくこと。


こんな私も、お念仏に助けられています。


足もふらつき、杖がないとたてない私の、

大きな支えがお念仏です。


仏法は、こんなどうしようもない私の為にあると心に感じます。


そして今日も、自分を問いながら、この人生歩みたいと思っています。


南無阿弥陀仏に生きる、そんな人生を送りたいです。