初めに

ゴルフグリップ練習器具「ダイアグリップ401」を一晩中握り、ゴルフのレジェンド、ベン・ホーガン、ボビー・ジョーンズ、ジョーダン・スピースの動画を徹底的に見て練習してもスコア100を切れない方は、このNoteを読む価値はありません。
100を切った方のみ続きをご覧ください。

私のNoteに記した内容を参考に、7歳から本格的に練習を始めれば、スイングアークの観点から身長185cm程度は必要になりますが、メジャー大会で3~5勝を挙げ、総額1,500億円規模の収益を得ることも十分に可能だと考えています。

ゴルフ上達の基本中の基本は、あらゆるゴルファーのフォームを理解することです。それこそが、正しいスイングへの最短ルートだと私は考えています。
私はボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガン、ウォルター・ヘーゲン、ジョーダン・スピースなど、歴代の名ゴルファーたちのスイングを徹底的に研究してきました。
もちろん、皆さんがメジャーチャンピオンを目指しているわけではないことも理解しています。私のように長時間のハードトレーニングを行うのは難しいでしょうし、厳しい部分もあると思います。
だからこそ、「最安で最速」をコンセプトにしています。これからゴルフを始める方も含め、誰もが気軽に参加できるようなコミュニティの構築も視野に入れています。

私のゴルフ履歴

私は12歳でゴルフを始めました。11歳から始めたベン・ホーガンと重なるような経験も多くあります。
彼は交通事故から復帰できましたが、私は瀕死の重傷を負い、ゴルフはおろか歩くことすら困難になり、現在は電動車椅子で生活しています。
3歳からゴルフを始めた経験はありませんが、幼少期に遊びの延長でゴルフに触れていたら、イップス(精神的な要因によるスイング障害)を経験せずに済んだのではないかと考えています。
12歳から本格的に始め、オフィシャルハンディキャップは「3」でした。これは社会人になってから取得したものですが、全盛期には自己申告で「+3」ほどの実力があったと思います。
ベストスコアは「69」。イップスを抱えながらも、霞ヶ浦国際などプロテストが行われるコースでのラウンドが多く、プロテストのスコアは軽々とクリアしていました。
学生連盟の試合では、270台で回ったこともあります。
現在は事故の影響でゴルフができませんが、自己診断では、エージシュートはもちろん、今でも60台で回れると確信しています。
もし今のノウハウを当時持っていたなら、世界記録に並ぶ「59」で回れていたかもしれません。マイク・スーチャックの偉業に届いていた可能性もあると感じています。
私のコンセプトは「最安で最短」。
あなた自身の努力こそが最大の武器です。
たった「6つのポイント」で、あなたのゴルフは劇的に変わります。忙しい方でも大丈夫。今すぐ始められますし、高額なレッスン料はもう必要ありません。

 


そして私は、これまで誰にも教わることなく、すべて独学でここまで来ました。

私の父は野球経験者で、福田赳夫元総理大臣と同級生でした。福田氏がマネージャーを務め、父はセカンドとしてプレーしていたそうです。父はまた、台湾ゴルフの祖・陳金獅に直接指導を受けていたことを誇りにしていました。
先見の明があった父は、赤星四郎設計の「富士カントリー倶楽部」の会員権を購入し、父の死後、その権利を私が相続しました。富士カントリーは日本では珍しいワングリーン方式で、世界標準に即した設計です。現在、日本の多くのゴルフ場がツーグリーン方式を採用していますが、これは野球やテニスに“軟式”を作ってしまうように、何でも日本式に変えてしまう悪い習慣の一例だと私は考えています。
また、私がゴルフ部の先輩として敬愛する赤城明様には、かつて台湾出身プロ・謝永郁の下で学ぶためスポンサーになっていただける約束をいただきながら、不義理をしてしまったことを今も悔やんでいます。赤城様は大変な先見性を持つ方で、F1チームを二つ所有し、現在は大谷翔平選手のスポンサーでもあるHUGO BOSSの会社を所有されていました。ヘリコプターを三機保有し、アランドロンとも親交があった方ですが、バブル崩壊とともにその栄華は幕を閉じました。
私は東京経済大学ゴルフ部で二年間キャプテンを務め、毎日5キロのランニングと背筋300回を自ら課し、部員にも徹底しました。その結果、部は5部から3部へと昇格しました。ゴルフは唯一、審判の存在しないスポーツです。だからこそ、自らを律する精神が求められるのだと考えています。

 

大事な6つのポイント

1つ目のポイント(ここから先はnoteの記事でご確認ください