先日読んだ 中村文則 著 「何もかも憂鬱な夜に」から
『・・・・・・夜、僕はつらくなる。眠れない夜。どうしようもなくなる夜。自殺は、早朝に多いそうだ。それは理解できるような気がする。その夜をやり過ごしたら、また続いていけるのだろうか。
眠れなくて、つらい夜。そういう人たちが集まり、焚き火を囲み、
同じ場所にいればいい。深夜から早朝にかけて、社会が眠っている中で、焚き火の明かりの元に、
無数の影が集まればいい。
そうやって、時間をやり過ごす。話したい人は話し、聞きたい人は聞き、話したくも聞きたくもない人は、黙ってそこにいればいい。焚き火は、いつまでも燃えるだろう。何もかも憂鬱な夜でも。
・・・・・だめになってしまいたい。美や倫理や、健全さから遠く離れて。
怖い 』
ここの描写が好きだった。
ここに出てくる焚き火のような象徴は、
宗教とか心理学とか、文学作品に、これまでにも違う形で描かれ続けてきたものかもしれないけれど、
「ああ、これだ」と思うような、迫ってくるものがあった。
もし、こうゆう焚き火に代わる場所がなにかしらあったならば、
もっと、敵同士にならないで、
好意的な関係で、
いられる状態がありそうなものなのにと思った。