宿直明けで頭痛があり
帰ってすぐ寝たり
起きたり
していました
少し前
「ぶっちゃけ寺」というテレビ番組で
小さな花と大きな花が並んで咲いていて
お互い、嫉妬しあわず
ただ あるがままに咲いているといった
気づきの話をやっていました
いいお話しだなぁと思ったんですが
きっと、
実際、花をみて「きづいた」その方の
感覚的な閃きは
実際、自分も実体験のなかからしか
得られないのだろうなぁという気も
しながら
観ていました
感覚的なことは、さておき、
「嫉妬」というものが
日常を
ややこしくしたり
自分を苦しめるというのは
凄くわかるのですが
花と違って人間は
喋ったり 動いたり
色んなことができるので
自分は平静でいたいと思っても
余計なことをしてくれる周囲に
刺激を受けず遣り過ごすのが
とても難しいと感じます
なんでもいいや
持っていくなら
持っていきんしゃいみたいな
放下の境地になれれば
「嫉妬」の苦しみから解放されるのかも
しれないのですが
いくつになっても
自己肯定を求める気持ちも強く
なのに
土足で踏みにじられるようなことも多く
そっとしておいてもらえないのが
日常のなかの
修行なのかなぁと
思います
「ありのまま」では
困っちゃうような
未熟なもの同士のなかで
「あるがまま」を
理不尽と感じず受け取る強さや寛容さに達するのは
いくつになっても難しいと感じます
だから修行というのは
世俗をはなれ
刺激を受けづらいところで
行われるのかなぁと
思います
日常は
修羅の場
食うか食われるかの
弱肉強食であると
感じます