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愛国心

Sankei Webより
「国を愛する心」が適当 教育基本法改正案で文化相 http://www.sankei.co.jp/news/040928/sei123.htm

「愛国心」っていうと、右翼的な響きがあって抵抗があるのかもしれないけど、でも最低限の「愛国心」があってしかるべきだと思っている。

日本人であるという前提でもって、欧米文化等を取り入れるのはわかるのだが、昨今の若い世代(あくまでも一部)を見ていて感じるのは、自分が日本国民であるという認識が非常に薄い気がする。

その点、この改正案では「国を愛する心」という表現にすることによって、抵抗感をなくすという案には非常に賛成である。

日本以外の文化で自己主張するのは悪い事であるとは思わない。
むしろ、積極的に異文化を取り入れることは、日本の経済や文化の発展を担うと思う。
ただ見失ってはいけないものがある。
あくまでも、私達は黄色の肌をした黒い瞳で黒い髪の「日本人」なのだから。

ユダヤ商法より

『金と女は同じである。女をものにする要領で、金をこちらが追いかけるのではなく、金を呼び込む。その呼吸がのみ込めたら、しめたものだ。そうなりゃ、必然的に儲かる』

(日本マクドナルド創業者 故藤田田氏 著 「ユダヤ商法 世界経済を動かす」より抜粋)

うーん、深そうだね。この意味。

なにやらユダヤ商法ってのは、ある法則が基礎になってるらしいんだけど、それが『78対22の法則』っていう宇宙の大法則らしい。

ユダヤ商法が絶対的な根拠は、ユダヤの公理なのであって、公理に証明は不要で、4千年の歴史自体が証明している、とされている。

何やらすごそうだ。
おれが以前ハメられた、マルチ商法の100倍すごそうだ。(その会社はだんことしてマルチ商法と認めなかったが・・・)

この本はまだ一回流し読んだだけなので、ぜひとも読み解き、自分の知識となってくれたら、力強そうだ。

雑学はあるにこしたことはないよね。

いつかその知識が花を咲かすとも限らんしね。

昨今の治安悪化について

まずhttp://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040918/20040918a4410.htmlを参照してみてほしい。(ちと古い記事だけど、勘弁)

まぁつまりは、最近の世の中は治安が悪くなったと感じる人が多いみたいなんだけど、確かに私もそう感じる。
近所でも、強盗やらひったくりやらが確実に増えている。

そこで、我らが一般市民がどうすべきかだ。
国に取り締まりを強化してほしいだの、なんだのと言って批判する時間があるのなら。自分で自分の身を守る方法を考えた方がいいだろう。

はっきり言って、いつ自分が事件に巻き込まれるかわからないと思った方がいい。
自分がその時、実際に巻き込まれることを想定する。例えば深夜の駅から自宅までの帰り道、突然暴漢に遭遇した時のことを考え、逃げる心構えや、大声で助けを呼ぶ心構えをしておけば、いざ出くわした時に、パニックにならないですむ。

あと、チンピラや暴力団関係者風の人にかれまれるのもやっかいだ。
世間一般では、どう対処したらいいかと言われているかはわからないが。
ケースバイケースでその場の空気をよく読んで、行動した方がいい。
へたに相手を刺激しない方がいい時もあるし、弱みをみせるとつけこんでくる輩もいるから要注意だ。

私の経験から言わせてもらえば、あきらかに「からむ」のが目的でからんできた場合は、おとなしく相手の言うことを聞きすぎると、いいカモとされてしまう可能性があるから、可能ならば逃げるにこしたことはない。
もし凶器などを持っていたら(持っていそうだったら)絶対に逆らってはいけない。相手だって面子ってものがあるわけだから、ヤリかねない。

または自分の粗相(そそう)が原因で(肩がぶつかった、目が合って喧嘩を売っていると誤解された場合等)からまれた場合は、素直に誤った方がいい。へたに逃げようとすると。後々恨みを買い、目を付けられる可能性がある。
なぜならそういった場合は、その土地に縁がある、「その筋」つながりの人である場合があるからだ。

警察や父兄にはわからないだろうが、地元の筋もん(及び関係者、面倒見られてる族等)に目を付けられたら、毎日生きた心地がしないだろうし、まっとうに外を出歩けなくなる。

これは東京都内ではあまりわからない感覚だろうが、それ以外の土地では往々にしてありえる問題ではなかろうか。

最終的に言いたいことは、治安対策に関しては警察に頼りきるのではなく、何かが起こったら自分で対処しなくては、という心構えを持つべきではないかということだ。
そして危険を感じることに、敢えてクビを突っ込んだりしないこと。


要はスキさえなくなれば、自然と犯罪に巻き込まれる可能性は減る。
あんまり過剰に考えすぎても人生楽しめないしね!

自己分析

就職活動を通過または現在進行中の人で、自己分析という壁にぶち当たった人は多いのではないだろうか?もちろん私もその一人だ。

特になんの目標、目的もなく生きてきた人間はこういった時にうちひしがられるのではなかろうか?私なんかは目標、目的がなかったわけではなく、見失っていたためだった。

よく就職活動の支援書とかサイトを見ると、「かならずどんな人にでも、ここだけは誰にも負けないという「強み」があるはずです」とハッパをかけてリクルーターを奮いたたせる。

うん。言ってることは間違ってないと思う。ただ文足らずではなかろうか。
やっぱりどんなにあがいても、今まで生きてきてこれといって人に自慢できるような経験や特技、性格がない人だっているのだ、そういった人は無理にでも自分の強みを創りあげてしまって、入社してから、創り上げられた自分とのギャップに苦しむ。

私は思う。「何もない」ことだって立派な強みだ。
情報過多と言われる現代社会、そのニュートラルな生き方が逆に有利に働くことだってあると思う。

変に考え方が偏っていたり、自分の経歴に盲信していないから、社会にでてから柔軟に物を考えられると思う。

右寄りか左寄りかで言ったら、正面を向いているわけだから、社会情勢を客観的に見て取れる。

へたにイイ学校いって、自分の力を過信して、世の中を語って(しかもかなり情報が偏った見解)、自分の知識をひけらかす人間よりは、よっぽどできる人間に育つ可能性は高いんじゃないかな。

世の何の目的もなく生きている人間よ!
自分の普通さに自信をもて!
そして、ありのままの自分を受け入れれば、道は見えてくる!
大学4年にもなって気付いたんじゃな・・・って落ちこむことなかれ、
気付けただけマシと思えばいい、
世の中に、自分の意思をもたず、受け身で生きている人間なんてごまんといるさ!

すんません、今回なんか偉そうなこといっちゃったかな・・・

注(ここで言っている「イイ学校」の人間とは主に思考停止で生きて、かつ我が学のネームバリューのみを糧に生きている人種をさしますので、あしからず)

過労だよまじで

今、いままで生きてきた中で一番頑張って勉強してると思う。
まぁいままでは本気で頑張ったことがないっていう理由もあるけど。

会社の面接もたくさん入ってきてるし、明日(日付的には今日)は卒論の中間発表だし・・・
ここんとこもうまともに寝てない、寝るとしたら朝方になる、そんで2~3時間寝たら、また勉強、研究の繰り返し。面接対策や履歴書作成もあるしね。

んで、話を戻してなんでいままで本気で頑張ったことがないかというと、理由がある。

その理由のおかげで、自分の生きる意味をみいだし、何事も本気で頑張れるようになった。まぁ流行の言葉で言えば「自己実現」ってやつ?
今思えば、あの時をきっかけに流行を追うのをやめ、自分で考えて生きるようになったな。

まぁ、その理由についてはまた時間がある時に綴りたいと思う。

あ~後3時間で発表のパワーポイント作らなきゃ・・・

卒業論文を書くイミ

いま卒論を書くのに追われている。書くといってもいまだにテーマが曖昧で、書くというほどにも到っておらず、ただ無意味に関連文書を読んでみたり、名悩んでみたり。

でも今日、私に足りなかったことがはっきりした。
それは「卒論」対する姿勢と考え方だ。要は卒業論文を書くということの本質をいままではわかってなかった。

じゃあその本質とはなんなのか?

今までは周りから「卒論なんて、卒業できるくらいの質を適当に作っておけばいいんだよ」とか「社会に出たら、自分が研究したことなんて実践では使えない」だとか言われていたから、「卒論」をやっつけ仕事的にしか思っていなかった。
なんでこんなめんどくさいことしなきゃならんのだ~!って喘いでた。

そのままでいたらきっと社会に出てからも、仕事に対して自分から考えて行動せず、受け身でしかこなせない人間になっていたかもしれない。

しかし「卒論」を書くということは、特定の分野を徹底的に調べ、その上で自分なりの見解をだし、また調査、分析しといったことをすることにイミがあるのではないかと思う。自分で考えるクセがついている人はこんなことをわざわざ考えずとも、無意識のうちにやってのける。
しかし受け身で生きてきた人間にとって、「卒論」「就職活動」は最初の大きな壁ではないか?

それらは授業のレポートのように「とりあえずやっておく」では済まない。
「この本に正解っぽいこと書いてあるからそのまま写しとこ」という考え方では絶対に、正解にはたどりつけないのだ。
無難にはやっていけるのかもしれないが、私は絶対いやだ。

淘汰

ほんと最近よく、子供が子供を殺し、大人が子供殺してるよね。
動物ってのは同じ種を絶対に殺さないらしい。

でも人間は別。

たまにふと思うんだよね。専門家やらなんやらが、原因を究明しているとか言っちゃってるけど、でももしかしたら友好関係が乏しいだとか、感情をうまく表現できないだとか、そういったミクロな問題じゃなくて、地球で人間という生物が増えすぎてるいるから自然淘汰されていっているというマクロな原因なのかも。神様が「人間増えすぎだから、ちょっと減らす」って言って、情緒不安定、未発達にさせる社会要素を必然的に作らせているのかもね。

なーんて、まずないかな。あったとしても自然の力には逆らえないので、ミクロな問題を堅実に対処していくのが、建設的だやね。

はじめました

一応ライブドアでもブログを持っているんだすが、ここも面白そうなのでやってみたいと思います。よかったらここも見てやってくださいな。http://blog.livedoor.jp/yuuuukii/

はじめました

一応ライブドアでも一本もってるんですが、ここのも面白そうなのでやっていきたいと思います。よかったらここも見てやって下さいな。