おもちゃ講座では、机にたくさんのおもちゃを並べて紹介もするのですが、「オススメおもちゃを選ぶ場」にはしたくないなぁと思っています。
ひとが持っている『発達する力』
おもちゃが持っている『支える力』
それらがどんな場所や状況の中で、互いに必要とし合うのか
そしてそこに生まれる感情を見てとることの意味は何か
そんなことを考えたり、「子どもと暮らす」ことのヒントを得られたりしたら良いなぁと思って講座をしています。
子どもたちがどのように発達していくのかの話しや、お世話好き過ぎるおもちゃの話しをする中で、
『子どもが主体』
のワードを使いました。
保育では良く使われる言葉です。
『子どもが主体』は
“子どもにお任せ”でも
“子どもが好きなように”でも
“子ども以外は「客体」”でも ありません。
私たち大人も含めて、自分の主体は自分自身であり、誰にも侵されない存在です。
自分の中心に自分を据えてそれを感じていくのですが、「主体である自分」は他の「主体」と関わりあっていきます。
『主体』は子どもだけのものではないし、遊びの中で育み、互いに大切なものです。
自分を自分だと感じる内なる行為も「主体的な遊び」だし
外の世界と関わりを持つことも「主体的な遊び」なのです。
そしてそれは、誰かのために犠牲になる人がいて良いことではないよなと思います。
自分の中心に自分を据えるという「主体的」を
世界の中心に自分を据えるという「自己中心的」と間違えないようにしないとです。
子どもの中に入り込んで世話を焼き、主体をすり替えてしまうのに、
自分は自分の主体になれない大人にならないように。
子どもの望みだと言いながら、
世の中のたくさんの主体と生きていく細やかなやりとりを恐れないように。
おもちゃと遊びを通して、子育てと自分自身を見直すきっかけにもなっていたらなと思います。
連絡・お問い合わせ
もしくは
mailto:shizukanaouchi.kinari@gmail.com
*お名前をご記入の上、ご連絡ください。
*LINE@の登録方法がわからない場合はをこちらをご覧ください。
*メールの場合、24時間以内に返信がない場合は迷惑メールホルダをご確認の上、再度ご連絡いただけますと助かります。
ご訪問ありがとうございました