『邯鄲堂奇譚 8 沈黙の代償/雪のレクイエム/約束の酒杯』の無料配布が始まり、ダヌンロードが始まっていました。

 

12月1日16:59までなので、興味をお持ちの方はこの期間内にどうぞ<(_ _)>

 

 

最近、2冊の本を並行して読みました。

 

『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』(ガボール・マテ著)、『病気が教えてくれる、病気の治し方』(トアヴァルト・デトレフゼン  リューディガー・ダールケ著)です。

 

更年期障害と五十肩は加齢のためとしても、突発性難聴、変形性股関節症などは医学的には原因不明。

 

おまけに、いくら運動・マッサージ・食事・生活習慣に気をつけてもなかなか改善しない頑固な便秘も(^_^;

 

ただ、私は明らかに過去の虐待の後遺症が、もともとの障害の弱い箇所にでてきたと理解しています。

 

ずいぶん過去のこだわりを捨てたと思っても、まだまだくっついているんだろうな~と思い、今の症状を緩和するためにはどの心のパターンを捨てればいいのかを知るヒントが欲しくて、この2冊を借りました。

 

ちなみに身体症状として出た場合、まず普通に病院へ行くのは当然です。

 

まっとうなスピリチュアル本であれば、「まず身体上に出た症状を治療し、それと共に病気になった心のパターンを理解して変えよ」と書いてありますから。

 

ただ、医学的にも「わかりません」、投薬や治療も効果無しの場合は、改善するために心の内側を見るのもけっこう大事。

 

今は、突発性難聴のお薬も服用していませんし、その他の投薬も整腸剤を中心にごくわずか。

 

西洋医学的なお薬は、私の耳鳴りには全く効果が無く、漢方薬も試しましたが効果が出る前に「胃が痛む・もたれる・荒れる」という副作用が出ましたのでやめました。

 

3ヶ月に一度、聴力が低下していないかどうか検査に行くだけで、放ってあります。

 

今も耳元でうるさいですよ(^_^;

 

でも、病院でどうすることもできないなら、命に関わることではありませんし、慣れるしかありません。

 

あまり気にしないことにしています。

 

それでも、うるさいけれどね(*´∀`*)

 

病気になるのは身体が弱ったからという考えの他に、「身体が警報を出している」という考え方もあります。

 

そこで、自分の心の中でどんなマイナス面を抱え、どういう点を改善せよという警告なんだろう?と思い、この2冊はまだ読んでいなかったので、今回読んでみました。

 

ところで、『病気が教えてくれる、病気の治し方』はスピリチュアルの本ですが、どちらかというと哲学的な内容。

 

そして『身体が「ノー」と言うとき』は、生理学的な医学書です。

 

スピリチュアルでは無く、幼い頃から大人になるまでに親から受けた仕打ちがストレスとなって積み重なり、それがどのようにホルモンや神経や免疫に作用し、ガンなどの命に関わる重病を引き起こすかという、ストレスと病気の関連を説明した本。

 

様々な臨床例と実験、検査結果に基づいています。

 

スピリチュアルと一般向け医学書ですが、どちらも内容は重なる部分が多く、その意味でも興味深かったです。

 

『身体が「ノー」と言うとき』は、残念ながらすでに知っていることばかりでしたが、それでも改めて読むと再確認できて納得。

 

『病気が教えてくれる、病気の治し方』も、特に目新しい内容ではありませんでしたが、「この病気になったのはなぜか」というポイントが整理されていて、自分と向き合う参考になりました。

 

原稿書きやジャム作りの合間に読んで、良かったかなと(*´∀`*)

 

まだ自分の中の洗い出し作業には入っていませんが、これも普段の生活の合間にちょこちょことしようと思っています。

 

 

 

改めてこの2冊を読み、「やっぱり闘病じゃなくて、共病よね~」としみじみしたのでした。

 

闘病で頑張っていらっしゃる方にあれこれ言うつもりはありませんし、「治るといいですね」という気持ちです。

 

ただ私の場合は、持って生まれた先天性の障害がベースにあり、さらに長年蓄積された虐待の後遺症も重なり、おまけにどんどん年をとっています。

 

すでに50才も半ば。

 

どんなに頑張っても、先天的な障害は今のところ完治する方法はありませんし、虐待のトラウマも「はい、これで終了」とわかるわけでもなく、モグラ叩きのように出てきます(^_^;

 

そうなると、戦えば負けるのは当たり前。最初から勝ち目のない闘争です。

 

一生背負わなければいけないなら、むしろ「闘病」ではなく「共病」した方がいいわ~というのが、私の選んだ病人道(*´∀`*)

 

症状が軽くなるのにこしたことはありませんし、放っておけば後々厄介になるものもありますから改善の努力はしますが、それでも「戦って勝って絶対治す」のは私の場合は無駄だと思いますので、仲良くうまくやっていく方法を考えています。

 

悪いことばかりでもないんですよ。

 

ずいぶん前の記事でも書きましたが、病気を抱えていると、日常生活を営むためには食事や生活習慣に気をつけますし、自然に普通は罹りやすい生活習慣病に関する面ではたいへん健康でございます(*´∀`*)

 

ええ、健康診断でも「このまま維持していくださいね」「はい」ですから。

 

昔は何が何でも健康体になりたいと努力しましたが、ダメなものはダメだと気づいて以来、仲良く共存することを目標にしています。

 

投げているわけでは無く、改善の努力はするけれども、それでも治らないときは仕方が無いなと。

 

人間、自分の意志や努力だけではどうにもならないこともあります。

 

特に持って生まれた体質、障害、生まれ落ちた家庭環境など、本人の努力では変えられません。

 

ただ、自分の持って生まれた資質や環境を見据えて、改善することはできます。

 

その結果がどうなるかは、これまた未知数。

 

それでもはっきり言えることは、努力しない人間には運も開けないということでしょうか。

 

これだけは、実感しています。

 

失敗も挫折も山ほど味わってきましたが、いつも真剣でしたし、決して逃げませんでした。

 

その結果が今を作っているなら、今の努力がこの先を作るはず。

 

どういう未来に結びつくのかはわかりませんが、今よりも悪くなることはあるまいと感じています。

 

現に耳鳴りはひどいですが、それでもきちんと聞こえるし、足にも不自由はありますが歩けるし、五十肩もかなり改善しましたし、心の中は落ち着いていますしね(*´∀`*)

 

今年は「稼ぐ」という目標を完全に外しましたし、ボコボコと変な病気が出ましたが、それでも得たものも大きく、何よりも今を幸せだと感じていることが大きな収穫だと思いますよ。

 

今年の最大のメリットは、「絶望的な状況でも、想定外に好転することがある」と知ったことです。

 

昨日のブログにも書きましたが、そのおかげで無理矢理稼ぐ必要がなくなり、自分のことだけを考えれば良くなりましたからね。

 

年に数度は親の様子を見に行きますが、これは義務とか「そうせねばならない」という思い込みではなく、自分の意志です。

 

絶対無理だと思っていたのに親を許すことができ、今は一歩踏み込んで愛することができるかどうか試験中という心境なんですよ。

 

以前と違って、こちらに負担をかけるようならとっとと逃げます。

 

金銭問題は、また違う方面からのトラブルだったので、ややこしかったんですけどね(^_^;

 

ともあれ、今の希望はもう少し症状を改善できれば良し、だめならうまくつきあう方法を考えて、無理をせずに楽しく生きることかしら。

 

自分を愛し、他人を愛し、共に仲良く豊かに生きるのが理想です。

 

そのために私に何ができるのかは、改めて考えることもありません。

 

自分にも他人にも明るく誠実に生き、日々の繰り返しを大切にする。

 

それしかできることないですし(*´∀`*)

 

さてさて、今夜は本の内容をヒントに、今度は自分の中に潜むどのトラウマが悲鳴を上げているのか、ちょっと自分の心の中と対話してみましょう。

 

自分を押し殺さず、かといって他人にも迷惑をかけず、バランスをとるのは難しいですが、のんびり行きましょ。

 

 


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