今思うこと。
僕は濁点になりたい。
日本語にもし濁点がなかったとしてもおそらく日本語は成立しているし別に困らないと思う。
歴史的にも言語の簡略化の名の下で沢山の言語の文化の多様性が失われてきたのも事実であるし。
でも、濁音がある日本語を使っている僕たちにとって濁音のない日本語とはどのようなものか。
名前がかわってしまう人もいるたろう。
漢字(かんし)の読みも変わってくるたろう。
きっと今現在(いまけんさい)の日本語(にほんこ)から濁点(たくてん)をとったところて、たいたいは理解てきるし、日本語(にほんこ)を学習(かくしゅう)する外国人(かいこくしん)にとっても楽てしょうね。
ては逆(きゃく)に、濁点(濁音)の必要性は何てしょう。
きっといくつもあると思うけれど
その中の一つに日本語を美しくさせる というものが僕はあると思います。
外国人が日本語を聞いてとても心地がいいといわれるにはきっといくつかの理由があり、その一つが濁音ではないだろうかと考えます。
北朝鮮のニュースを聞いて、心地がいいとあまり思いませんよね、
言葉ひとつひとつに棘があるような感じ。(おそらく口調も起因しているとは思うけれど)
日本語にも少なからず棘は存在すると思います。でもそれは口調も関係しているとは思いますが北朝鮮ほど目立ちません。
棘を目立たなくする、それこそが濁点の1番の意味にあると思っています。
言葉を濁らすことによって棘の先端を濁らしてくれる、そんなイメージ。
また棘を彩ってしまおうという考え方、それが半濁音だと思っています。
主に破裂音であるために、棘よりトゲがあるように見えて、その棘を彩ってしまう。そんな美しさを感じます。
なくてもおそらく誰も困らない。
けれどあるととても心地よい。
そんな人間になりたいです。
自分がいなきゃ困るなんて言われてもそんな責任感持ち合わせてないのでね。
僕は濁点になりたい。
日本語にもし濁点がなかったとしてもおそらく日本語は成立しているし別に困らないと思う。
歴史的にも言語の簡略化の名の下で沢山の言語の文化の多様性が失われてきたのも事実であるし。
でも、濁音がある日本語を使っている僕たちにとって濁音のない日本語とはどのようなものか。
名前がかわってしまう人もいるたろう。
漢字(かんし)の読みも変わってくるたろう。
きっと今現在(いまけんさい)の日本語(にほんこ)から濁点(たくてん)をとったところて、たいたいは理解てきるし、日本語(にほんこ)を学習(かくしゅう)する外国人(かいこくしん)にとっても楽てしょうね。
ては逆(きゃく)に、濁点(濁音)の必要性は何てしょう。
きっといくつもあると思うけれど
その中の一つに日本語を美しくさせる というものが僕はあると思います。
外国人が日本語を聞いてとても心地がいいといわれるにはきっといくつかの理由があり、その一つが濁音ではないだろうかと考えます。
北朝鮮のニュースを聞いて、心地がいいとあまり思いませんよね、
言葉ひとつひとつに棘があるような感じ。(おそらく口調も起因しているとは思うけれど)
日本語にも少なからず棘は存在すると思います。でもそれは口調も関係しているとは思いますが北朝鮮ほど目立ちません。
棘を目立たなくする、それこそが濁点の1番の意味にあると思っています。
言葉を濁らすことによって棘の先端を濁らしてくれる、そんなイメージ。
また棘を彩ってしまおうという考え方、それが半濁音だと思っています。
主に破裂音であるために、棘よりトゲがあるように見えて、その棘を彩ってしまう。そんな美しさを感じます。
なくてもおそらく誰も困らない。
けれどあるととても心地よい。
そんな人間になりたいです。
自分がいなきゃ困るなんて言われてもそんな責任感持ち合わせてないのでね。

