飛行機事故 3  天候 自然災害など | 頑張るお母さん チャレンジ人生 in U.S.A.

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アメリカの生活、仕事、教育についてのブログ
時々ペットの話も。
日本語教師です。
英語が苦手、だけど頑張ってます。
毎日がチャレンジです。

*飛行機恐怖症・飛行機旅行を考えている人は読まないでね*

 

 

飛行機事故としては避けようがない

天候や自然(災害)

 

空は人間の領域ではない

なのに

人間はズカズカとその領域を侵す謀略無人な生き物だと

思わずにはいられません。

 

「バードストライク」と言う言葉を世に浸透させた事故と言えばこちら

鳥がエンジンに吸い込まれて起こった事故

映画にもなりましたね。

機長は称賛されたとともに

誤解で批判もされてしまいお気の毒でした。

 

 

ちなみに機長は私が所属している

パピーのRaiserさんでもある(あった?)ようです。

 

 

 

 

天候は飛行には欠かせない情報です。

パイロットは飛行前に

ディスパッチャーと航路についてミーティング

最新のお天気情報を出発前に渡します。

 

今は天気予報も詳しく正確なものが分かりますが

昔は今ほどIT系が発達していなかったので

操縦する方も大変だったと思います。

 

 

落雷

こんな動画を見ると怖いですよね。

 

 

こちらの説明で安心できるでしょうか?

 

 

 

横風の中、ランディングをする飛行機たち

寸前まで着陸態勢をしたのにゴーアラウンドを選択する時、

パイロットたちはどんな気持ちなのでしょう。

 

天候が悪く成田に着陸許可が下りなかった翌日

ある機長が出発便のゲートで私達に言いました。

「僕は降りる自信があったんだよ!だけど管制官が許可をくれなかったんだ」

羽田にダイバートしたのがとても悔しかったようです(笑)

 

 

逆に到着地の台北が悪天候だった時

続々と他社便は欠航になりましたが

私たちの会社はアメリカ本土にある本社と相談

最後に機長の判断に委ねたら

「行きたくない」と言った機長もいました。

安全第一、責められません。

結局、欠航になり、お客様は翌日のフライトに。

既に近隣ホテルは他社のお客様で一杯

ホテル探しが大変になりました。

 

 

1991年 フィリピンのピナツボ火山が噴火しました。

これにより

マニラ便は欠航となり

お客様は数日成田で足止めになりました。

 

航空会社はこのような自然災害での欠航・遅延は免責され

お客様のお世話はしなくても良いのですが

それぞれの航空会社は、ホテルや食事を提供しました。

成田近辺のホテルは一杯だったので

私の会社のお客様は浦安のホテルに滞在していました。

 

数日後、出社したばかりの私がオフィスの電話を取ったら

このマニラ便のお客様からでした。

「今日もフライトはキャンセルか?」と聞かれました。

「はい、今日もキャンセルです」と応えたら

そのお客様

「じゃあ、ディズニーランド、行ってきても良い?」って。

 

そのお客様にとったら

アメリカからマニラに行く乗り換えの成田で

ホテル代と食事付きでディズニーランドが見えるホテルに泊まれたのですから

思いがけないディズニー観光ですよね。

マニラのお家や家族が無事で

仕事とか急ぐ用事がなければちょっとラッキー?

 

「どうぞ、どうぞ」と応えた私。

この時期のディズニーランドの来園者はいつもより多かったのかしら?

 

 

1995年1月

あの阪神・淡路大震災

あの日は成田空港も大荒れでした。

大阪便の乱れもありましたが

成田も黄砂を含む風が強くて離発着が出来なくなりました。

 

全社・全便が欠航ですから

ホテルが足りません。

お客様は空港で足止めになり

私たち職員もその対応で帰れませんでした。

 

関西(神戸)出身の職員も多かったので

ご実家を心配していたと思いますが

それを理由に仕事を休む職員はいなかったし

普段と変わらずに勤務していました。

 

ブリーフィング後にマネージャーはいつも

「それでは皆さん、一日笑顔で頑張って下さい」と言って

私たちを配属先へ送り出していました。

何があってもお客様には笑顔で。

今から思うと徹底していたように思います。