土曜日はお疲れ様でした。

阿部君と会えてよかったです。

次はキャンプで会えたらいいですね。



今回の旅について、少し話します。



私は以前学生時代に、何回か海外旅行に行っております。

ベトナム、中国、インドの3カ国ですが、それなりに、楽しく

何かしら、感ずるところもありました。

今回、予定としては1年間と言う予定で旅に出ますが、

その旅の中で、「自分探し」であるとか、そのたび自体に、

何かを感じて、それを糧に今後の人生に生かしていこう。。。

なんてことは、微塵も考えておりません。

むしろ、単純に「行きたいから行く」という単純なものです。



しかしながら、7年間いた会社も辞め、たいした資格も無く、

帰ってきたら、どうするんだ。という自分もいます。



ただ、行きたいんだもん。ということしか今はありません。

でも、多少のこだわりはもっていきたいです。例えば、

もし苗字が変わるなら、吉田じゃつまらない、

吉山はちょっとな、吉岡辺りがいいな、なんて。

ヘーゲルの弁証法のアンチテーゼでとまっちゃう様な。的な。



ここでもう1つだけ、言いたいと思います。

僕は子供の時から、「常識」という言葉が嫌いでした。

一方的なような感じがしまして。

それをしないのは非常識だ。それをするのが常識だ。等々。

子供の時から、常識って何だろう。と思っていました。

社会が円滑に廻る為の、最大公約数的なルール。適な物なのかな。

とおぼろげながら考えていました。社会で生きていく以上、ある程度は、

このルールに則って生きて、いかなければならないのか。と。

しかし、この定義でゆくと、最大公約数の分母が違うと、

常識も変わってきます。

今までは、僕を含め、この分母が家族であったり、学校であったり、

会社であったり、最大に大きくても、「日本」でしかなかったのではないか。

と、いうことです。

僕が大学生ぐらいの時、「グローバリゼーション」(世界標準)なんていわれていました。

JIS規格から、ISOに変わりつつあったり、GNPからGDPに変わったりなど。

そうなって行くと、今までの常識ってほんとに、最大公約数なのかな。

と、言うことです。

今年は、戦後60年で、日本いると戦争なんかはずっと昔のことであり、

自分も含めて、まったく関係ないものに感じますが、今もどこかで

戦争(紛争含む)が起きています。

それを受けて、常識って何だろう。常々思います。

民族、宗教、経済格差、などいろんな理由があるのかもしれませんが、

「人が人を殺してはならない。」

というのは、最大限尊重されなければ、ならないのではないのか。

また、ここで言う常識でいえば、人殺しはある条件があれば常識

になっても、よいものだろうか。です。

民族宗教経済格差があっても、人は分かり合えないのか。

儒教の孔子の仁であり、キリストの隣人愛であり、イスラム教の教友愛

であり、あんまり覚えていないが、基本的なことは同じである。

と思われる。



なんてことを、多少は考えています。

ただ、上記で述べたように、そんな難しいことはわずかで、

行きたいから、行くのであります。

長々書いてしまいましたが、



以上です編集長。(街角テレビ1100の大木凡人風で)