ミーティングの最後、アドボカシー担当の人からここまでよく頑張ったねと言われ、泣きそうになった。

 

弁護士に話している最中も、時々声が震えた。私は今後同じような経験をするであろう他の学生のためにも、沈黙を強制されないよう、できるだけの情報が得られるよう、透明化が必要だと話した。訴えるだけ訴えて、罰が下ったのかさえわからないなら、被害者はつらい思いをして結局消化不良で終わることになる。そんな状況で、どうやって大学側を信じたらいいのか。そもそも苦情申し立て、そこからの調査協力で、どれだけ被害者が繰り返し傷つくことになるのか、わかってほしかった。

 

子供のころの性暴力も、大人になってからのレイプも、それ以外の数えきれないセクハラも、私は何もできなかった。だからこそ、今回はどれだけ辛くても、できるだけのことをやろうと決めていた。

 

教員の退職は自主退職のように公には扱われていて、実際に懲戒免職になる前に退職するよう大学側が圧力をかけたのではないかと想像している。それ自体は納得いかないが、自分の起こした行動で、ちゃんと加害者が罰せられたのは初めて。加害者が退職したと言われて手放しで喜べないのは、自分の中でセクハラに対する深刻さがまだ低いからか、自分の良心なのか。なんとなく、それ(セクハラ)くらいで、という気持ちが残っている。ずーっと父権社会でこれくらい当たり前、と洗脳されてきて、まだ脳がアップデートされていないのだ。レイプに比べれば大したことない。どちらも許されるべきではないのは当然なのに。

 

複雑な気持ちはあるにせよ、今回は自分を褒めてあげたい。

 

似たような経験をされた方がいたら、あなたに落ち度は少しもないとわかってほしい。行動を起こせなかったとしても、それは相手のせい、そういう風に被害者が自分を責めるように時間をかけて洗脳してきた社会の落ち度です。もし行動を起こそうと思ったら、信頼できる友人や公的機関にどんどん相談してください。一人で闘うには辛すぎる道のりです。