その日は大事な日だったんです。


狭い部屋に、聴者が6人、ろう者が2人。その中の聴者3人は、ろう者の家族。



6人は声で会話を始める。
ろう者の顔を見ない。


ろう者は聴者に囲まれた空間の中で、会話の内容が分からないのは慣れっこで、静かに座っている。それでも発言中の人の口元をジッと見て読み取ろうとしている。


ろう者は素早く動き、発言者がコロコロ変わる口元を、読み取ることも諦めて薄く笑いながら聴者の会話をボンヤリ見ていました。同じ空間にいながら、状況も何も知らされず、ただ座っているだけ。





・・・この聴者6人の中に私がいました。夫もいました。




夫は何より私の負担を考慮してくれていました。

「義父母に通訳しなきゃ」「(3人の)お客様を、おもてなししないと」「失礼の無いようにしないと…!」

嫁の立場と、手話通訳者の勉強をかじった立場に挟まれて、混乱して大層慌てていたのを見抜いたんだろうな。



「通訳はしないでいい」

「お茶やお菓子も自分が出す」

「自分達の印象が悪くなっても一向に構わない」

「何もしなくていい、何も話さなくてもいい、心配しなくていい」



・・・別に見放されて言われた訳ではありません。自分の親の存在によって、私がパニックになることが、夫にとってはやるせないのです。(あ、ノロケ?)
天秤に掛けさせて、言わせた言葉だったでしょうね。





そして、通訳を当事者に頼まれたわけでもありません。必要性に気が付かない程、情報に遮断された暮らしを長年営んでいた、お二人です。




そして、「通訳は必要無い」と言ったからって、誰も私に代わって2人に通訳をしません。
時々、紙に書いたり、少し手話で伝えたり…その位。
その理由は親子間にある、ちょっと深い話なので、責めるつもりは毛頭ありません。




でもね。




どんな事情があったって。
この部屋に居ることを強いられて。
皆が次々言葉を飛び交わして。

そしてそれが全く分からない。
知らされない。


異国の人が、その土地の言葉を覚えようと思えば、覚えられます。そして時間をかければ会話に参加出来るようになります。



でも、ろう者(聴覚障がい者)は違います。
この状況この密室で、飛び交う会話に参加出来るようにはなれない…。



分からないのが当たり前?
聞こえないんだから仕方ない?
長年こうしてきたのだから、違和感無い??





違うよね。これはおかしい、この空間、絶対におかしい。
どんな事情があっても、この状況を作り上げるのは変。






通訳技術なんて、まだまだまだまだ…………ですけど、それでも義母へ伝わりやすい手話表現を解っている自負があります。



通訳を始めたら、それまでぼんやりしていた義母が、ジッと私を見ていました。時々返事をして、内容を確認して。



聴者3人が帰った後、義母は義父に勢いよく今日の会話の内容を伝えていました。
それは私が通訳して伝えた内容でした。




家族として、辛いのは変わらないのですが。辛さの中身が変わってきました。




でもあの時、迷いが吹っ切れてシレッと通訳を始めた自分を少しだけ褒めてやります。
それ以上に、迷った自分を叱ったのですが。