「あなたは聞こえるのに何故○○を教えてくれなかったの?」と不満げに言われたことも、何度かある。




聞こえるからって、全ての音を聞き取って「認識」している訳ではない。これは今でもうまく伝えられないなぁ。


 


「救急車が通った時には教えて欲しい!」と言われたことがある。
知り合いが運ばれているかもしれない緊急事態なのに(田舎なので有り得る話)その時を知らずに過ごしたくない。
もっともな気持ちです。

それと、「救急車に乗るのはどんな状態の人なのか?」見て確認したい。という興味も感じました。
実際「見たい!ニコニコ」とニコニコして言われたので・・・(ツブゾウかなりぶっちゃけます)




私は「救急車は毎日通っていますよ、殆どは私達の知らない家の人だと思いますが・・・」と答えた。続いて「苦しくて病院に運ばれるとき、心配も無く『見たい見たい!!』て誰かが来たら、私なら怒りますプンプン」と、やっと付け加えた。





それほど具合の悪い人が、毎日のように発生して病院に運ばれている。
まずこれに驚かれました。



そんな緊急事態を知らせる救急車の音を、私が毎日「聞き流して」いたこと。
それにも、大変驚かれました。



そして「もし○○の時、○○なら、こう感じる(事実ではなく、気持ち)」これは、
あまり反応無かったです。共感し難い・・・?

 



救急車がどれほどの頻度で出動しているのか?

私も互いの認知の違いに気が付くキッカケになった記憶に残るやり取りでした。




見て確認、という行動の大切さを強く感じました。それ以来「見たい」には極力応えています。




でも、救急車の、興味本位の野次馬は・・・それだけはいけませんよ!!プンプンプン