音の無い世界に聞こえる私が飛び込めば、私が意思疎通のとれない人間側、だったのです。



音に関する感覚は共感できませんので、ドアの閉開音や足音、時折聞こえる発声、物を投げる音(聞こえなければ、物の扱い等の力加減は難しい)
早朝の皆寝てる時間帯や、子供の昼寝中の掃除機。


数々の音 音 音


これらで私は不眠症に。産後だったので余計に色々ピリピリしていましたショック!





しかし、言えるわけがない。
ドアはゆっくり優しく閉めて、足音をたてないで、声を出さずに会話して、物は投げないで。掃除機は・・・これだけはすぐにどうにかして頼んだっけ?





言えるわけがないガーン
そして言える技術も持ってなかった。



「聞こえないから分からない、何を言いたいのか分からない」と、怒って反論されて、聞こえてしまう苦しみを否定され、私は怖じ気づいた。





夫は慣れているので私の眠れない程の訴えは理解されず・・・




けれども、一年後には私も慣れて爆睡出来るようになったビックリマーク
適応能力とはすごいものです。




なので・・・
ドアにはクッション材
を取り付けるとか、物は投げない(これは常識でいいよね…汗)等、多少の工夫も大切ですが、理解と歩み寄りが何より必要ですよね。



これ、家という密室の中で、ろう者2人対、聴者1人というバランスで、起こった話。

「聞こえない」を理解出来ない私と、「聞こえる=何でも出来る人」と誤解されている話。



密室で2対1、というのが重要で、かなり過酷でしたが、もしかして、あの頃はお互い対等だったのかもしれない、と今思う。
・・・無理解レベルが対等ねガーン



つまりつまり、つまるところ。
そんな密室は滅多にない。

そんな対等は、猟奇的…じゃない奇跡的。

聞こえない方は、日々「無理解」に晒されかねない社会だ、ということ。世の中聞こえる人が圧倒的多数なのですから。




「対等というのは、5対5ではない。
6対4…7対3くらいが良いのかも」



通訳者養成講座で聞いた言葉です。




私は一年で慣れて、爆睡していました。
それは「相手を知ったから、眠れるようになった。5対5を求める状態から自然と6対4に、引けた」とも言えますね。



本当は、理解を求めるのではなくて、周囲が自然に知って、理解していけるといいのにね。





まぁ・・・・・・・・





夫婦、いいえ、親子ですら「自然に理解」なんて無理ですから、ね・・・えー




美化して書いたけど、2対1時代にどれだけ摩擦が起こったと?発火レベルですからね?放火じゃないけどね?ぷっ


それでもこんなに(どんなに?)まとまるようになると。そういう話はにわ