昨夜の手話奉仕員養成講座で、講師の先生方が不要になった手話関連の冊子をダンボールイッパイに持ってきていていました。興味のある方は、持ち帰って良し!とのこと音譜








2005年発行ですが・・・ツブゾウが持ち帰った本がこちらぶー












医療と手話


日常手話すらまだまだなのに、医療手話なんて高度なものに興味持つなんてな悔し泣き
10年・・・いや20年早いよ!!爆弾







なんて、ちょっと違うのです。
医療に掛かる人は、高齢者が多いと思う、聴覚障害者であっても同じでしょう。


高齢の ろう者が、手話も筆談もペラペラ であるとは限らない、と身を以て知っております。その人 その人によって、意思疎通できる範囲は大きく異なるかもしれない。
受診した際のコミュニケーションはどのようにしたらいいのか、我が家以外、手話通訳をされる方はどのようにされているのか、何か少しでもヒントがあればいいな とおもったんですね。





ブログ記事にはしておりませんでしたが、義父は私がこの家に来てから3回の入院をしております
その際のコミュニケーション全般、本人の理解度、気持ち、どれを取っても良いとは言えません。(このテーマだけでシリーズ投稿できそう)




また、義母を毎月診療所へ送迎して、通訳をしていても、いろいろ胸に引っかかるものがあります。これだって、1つ1つ拾い上げればキリがないのですが苦笑





















なかなか、集中して読み込む時間を確保できないのですが
ケース別の事例を読んでみると、我が家との共通点を幾つも見つけた。




大事な話をして確認しても、同じ内容を繰り返されることがあって・・・納得されていなかったのか、忘れているのか、再び確認したいだけなのか、分からない時が多々あるのだ。



その確認が難しい



忘れているなら、問題だ。納得していないなら、手法を変えて説明する必要がある。確認したいだけならば、「そうですよ」と頷くだけでもOK





・・・と、こちらとしてはそれくらい真剣であるのに、そもそも自分の体のことなのに関心が薄いと感じることのほうが多い




「病院に連れて行かされている 」という態度をされる日もあるので、困る





でも、やっぱりね、テーマ事例に書いてありました。
「自分のこととして考えられなくなっている部分がある」と

これは別の疾患も抱えている方の事例ですが、根本は同じかもしれないなぁ




一つ屋根の下で暮らしていると、近すぎる故に求めすぎてしまったり感情が先行して理解が難しくなったりしますが。



これも「障害故の難しさなのだ」と思って接した方が、私も楽になれそうだと、思ったのでした






・・・あくまでも我が家の場合です新芽
決して聴覚障害のある方全員に、あてはめないでくださいね。
お願いしますイチゴ