ブ ブ ブ ブログ更新をサボっているわけではないのです
なんだかもう、いろいろ、もういろいろです
4回目の手話奉仕員養成講座でした。
今日は「絶対休むな」的に言われていた講義のあった日。
テーマは「聴覚障害の基礎知識」
聾学校でお勤めの経験もあり、今は小学校で「聞こえの教室」の教師をされておられる先生が講師に来て下さっての講義でした
耳の仕組み。耳で音を感じる仕組み。難聴とは何か。難聴にも種類がある。補聴器とは。補聴器を使う方と接する上で心掛けるポイントは。
人工内耳とは。
聞こえの教室ではどのような授業をされているのか。
・・・・・・
羅列ですが
講義の内容は書いて良いのか悪いのか、分からないので深く書いていません
感じたことだけ。
補聴器も使っていない、ろう者である義両親と暮らしているからか、私の頭の中は手話でいっぱい。「聴覚障害者イコール手話」くらい極端だったなぁ・・・と、認識
一言で難聴者と言っても軽度から重度の方まで様々で、聞こえる程度(音の大きい小さい、低音高音)の差や、音に対する認識の差。それに「補聴器」がどんなものであるのか、私は知っているつもりだっただけで、全然知りませんでした。
人工内耳についてはなんとなく知っていましたが、より詳しく知ることが出来ました。
義父は、おそらく先天的な聴覚障害なのですが、義母は2才の時の発熱が原因の後天的な失聴者です。
義母は子供の頃に聴力検査を受けたきりで、補聴器も持たずに今まで生きてきました。
もしかしたら、合う補聴器があるのでは?何かの音が少しでも聞こえるようになる可能性はあるのかも??
それとも、全く使えないのかも・・・
今まで何度となくそのような考えが浮かびました。
でも「音が聞いてみたい、聴力検査を受けてみます」と言われて検査をして、もしも!補聴器が全く合わない、使えなかったとしたら、期待だけさせて、ただガッカリさせるだけになる
提案は一度もしたことはありませんでした
今日の講義を受けて、そして講師の先生と、1対1でお話をする機会があって、提案しなくて良かったのかもと思いました。
仮に聞こえるようになっても、例えばツブゾウと同じ聞こえになるわけではない。
例えば、救急車の音が聞こえても、「救急車だ!」と理解は出来ない。「ピーポーピーポーのサイレン=救急車が出す音」だと記憶をしていないから。
聴者が、気に留めなくなっている日常のあらゆる音も・・・全てが自分に「要る音」なのか「要らない音」なのか判断が難しい。
「何の音か分からないけど、どんどん聞こえてきて、どの音にどんな対処をしていいのか分からない!」
(後ろからクラクションを鳴らされたとしても)
・・・と、すごく、すごく、負担をかけるのではないかと、確信に近いものを掴みました
2才までの音の記憶があれば、補聴器も使えるかもしれない!と思っていました。でも甘かったですね聴者の時に聞こえていた音と、補聴器で聞こえるようになった音は同じとは限らないもの。
音が全く無い世界で何十年生きてきた義母に、何の意味があるか分からない音が聞こえるようになっても苦しめてしまう。
そして大なり小なり聞こえるようになったら、コレくらい分かる、出来るでしょう?と周囲から求められる範囲が増えてしまうだろう
人間関係まで影響がありそうだ。
上手く言えないけれど、それは酷だな・・・と
大切なのは手話だけではないと、少し視野を広げることが出来た有り難い講義でした
Android携帯からの投稿
なんだかもう、いろいろ、もういろいろです
4回目の手話奉仕員養成講座でした。
今日は「絶対休むな」的に言われていた講義のあった日。
テーマは「聴覚障害の基礎知識」
聾学校でお勤めの経験もあり、今は小学校で「聞こえの教室」の教師をされておられる先生が講師に来て下さっての講義でした
耳の仕組み。耳で音を感じる仕組み。難聴とは何か。難聴にも種類がある。補聴器とは。補聴器を使う方と接する上で心掛けるポイントは。
人工内耳とは。
聞こえの教室ではどのような授業をされているのか。
・・・・・・
羅列ですが
講義の内容は書いて良いのか悪いのか、分からないので深く書いていません
感じたことだけ。
補聴器も使っていない、ろう者である義両親と暮らしているからか、私の頭の中は手話でいっぱい。「聴覚障害者イコール手話」くらい極端だったなぁ・・・と、認識
一言で難聴者と言っても軽度から重度の方まで様々で、聞こえる程度(音の大きい小さい、低音高音)の差や、音に対する認識の差。それに「補聴器」がどんなものであるのか、私は知っているつもりだっただけで、全然知りませんでした。
人工内耳についてはなんとなく知っていましたが、より詳しく知ることが出来ました。
義父は、おそらく先天的な聴覚障害なのですが、義母は2才の時の発熱が原因の後天的な失聴者です。
義母は子供の頃に聴力検査を受けたきりで、補聴器も持たずに今まで生きてきました。
もしかしたら、合う補聴器があるのでは?何かの音が少しでも聞こえるようになる可能性はあるのかも??
それとも、全く使えないのかも・・・
今まで何度となくそのような考えが浮かびました。
でも「音が聞いてみたい、聴力検査を受けてみます」と言われて検査をして、もしも!補聴器が全く合わない、使えなかったとしたら、期待だけさせて、ただガッカリさせるだけになる
提案は一度もしたことはありませんでした
今日の講義を受けて、そして講師の先生と、1対1でお話をする機会があって、提案しなくて良かったのかもと思いました。
仮に聞こえるようになっても、例えばツブゾウと同じ聞こえになるわけではない。
例えば、救急車の音が聞こえても、「救急車だ!」と理解は出来ない。「ピーポーピーポーのサイレン=救急車が出す音」だと記憶をしていないから。
聴者が、気に留めなくなっている日常のあらゆる音も・・・全てが自分に「要る音」なのか「要らない音」なのか判断が難しい。
「何の音か分からないけど、どんどん聞こえてきて、どの音にどんな対処をしていいのか分からない!」
(後ろからクラクションを鳴らされたとしても)
・・・と、すごく、すごく、負担をかけるのではないかと、確信に近いものを掴みました
2才までの音の記憶があれば、補聴器も使えるかもしれない!と思っていました。でも甘かったですね聴者の時に聞こえていた音と、補聴器で聞こえるようになった音は同じとは限らないもの。
音が全く無い世界で何十年生きてきた義母に、何の意味があるか分からない音が聞こえるようになっても苦しめてしまう。
そして大なり小なり聞こえるようになったら、コレくらい分かる、出来るでしょう?と周囲から求められる範囲が増えてしまうだろう
人間関係まで影響がありそうだ。
上手く言えないけれど、それは酷だな・・・と
大切なのは手話だけではないと、少し視野を広げることが出来た有り難い講義でした
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