聞いて驚け。読んで驚け。
義母は毎日犬の散歩をしています。
>「散歩は飼い主なら当然よ!」
でも、朝夕の1日2回ですよ?
>「1日2回だって普通の事よ、何に驚けというの?」
だってその犬・・義母の飼い犬じゃないんですよ?
>「・・・・・・!!!」
意味のわからん会話形式にしてみましたが、本当に意味などありません。
義母は毎日朝夕、近所のお年寄り一人宅の飼い犬を散歩に連れて行ってあげているのです。
飼い主は少々足が不自由で、愛犬の散歩が大変。義母がその役を買って出たそうです。
私がこの家に来る前からのなので、少なくとも4年以上続いています。
近所では誰もが知っています。
「1人暮らしの寂しさで、この子(犬)を手放すことがどうしても出来ない。○○(義母)には感謝してもしきれない。本当にありがとう。ありがとう」
飼い主のお婆さんはそう言う。時には涙を滲ませて言う。
お婆さんは「息子が送ってきてくれた」とその度さまざまな食品を我が家に持ってくる。
「もし、お礼目当てでやっていると誰かに思われていたら、嫌だね」
そう夫がこぼした事がある。
もちろん義母はお礼目当てではない。ただ、善意だけ。
「その「善意だけ」を信用できない人間はいるんだよ」
耳の聞こえない両親に代わって耳を使い、世間、人や社会と係わって2人を守ってきた夫はそう言った。
「耳が聞こえちゃうとさ、聞きたくない事も、知りたくない事も、聞いたり知っちゃうよね」
私はそう答えました。
聞こえない2人の分まで「知りたくない事まで知ってしまう」息子夫婦の会話です。
「言い方悪いけどさ、年をとればとるほど、人が悪くなるよね」
これって仕方のないこと。
人と係わらずに生きるのは不可能だし、人には沢山気も遣うし、嬉しいこともあれば傷つくこともある。
知りたくない、係わりたくない時でも、立ち向かわなければならない時もある。
そんな経験を活かして人生重ねれば、当然賢くなるしズル賢くもなる。
義父母は、人が聞きたくない、知りたくないと思う人間模様の多くから守られてきた。
自分が進んで行っている犬の散歩を「お礼目当てではないか?」と疑う人間がいるかもしれないと、想像すらしないだろう。「そんな意地悪な人、いるわけない」と。
そんな汚されない善意を持ち続けている義母を、大切にしようとする夫の気持ちがよく分かる。
持ち続けたいのに、いつの間にか無くしてしまうものだからね。
犬の散歩話の続き。
義母は必ず犬のフンをビニール袋に入れて持ち帰る。
得意な人間などいないでしょうけど、私が敬服してしまうのは、このウンコ処理作業に対してでもある。
毎日2回犬の散歩!おまけにウンコ処理!!
本当にすげえ・・・我が子のウンコ処理だって臭いもんは臭いのに・・・。
最近近所で問題になっているのが、犬のフンを始末せず放置していく飼い主がいるということ。
回覧板に書かれていた。
「うん。犬の糞をそのままにする人がいて困ります!!」
義母はそう言った、そしてこう続けた。
「私がその糞、拾って帰っています!本当に困ります!!」
このときの私が受けた衝撃ときたら、大岩が胸にぶつかってきて、そのまま潰されきったような感じですわ。
元々ぺシャペシャオッパイなのが、もう激しくペッチャンコ。
お義母さまのその優しさ、善意、かないません
私めがその汚れ無きお心を汚させませんっ。
汚れ役は私めにお任せを
と、お調子者の嫁は心の内で叫んどきました。
たまげた~~~!!!
大丈夫。
他所の犬のフンまで始末して歩いてる義母を見て、「お礼目当て」と思う人などいません!
いたら、その人の方がよほど、おかしいのです。
義母を語るのに、犬のウンコを引き合いに出して悪かったかな?
チョッピリ後ろめたい夕暮れ時、義母がまた散歩の為に玄関を出る。