阿修羅像

 


1,300年ほど前に作られた阿修羅像の作者は、

百済から渡来した仏師・将軍万福(しょうぐんまんぷく)だそう。
長い間作者不明だったのが分かったのは、なんと昭和8年!

このスーパースターの生みの親が

そんなに長い間知られていなかったなんて、驚きでした。

 

ご多分に漏れず、私も阿修羅像に魅了された一人でございまして、

その思いからか、一体目の20cmの如意輪観音坐像制作から13ヵ月後には

この阿修羅像を完成させていました。平成12年4月。

似て非なる阿修羅ですが…。

 

 

久しぶりにそれを確認した際、自分にも少々驚きました。

栃木県益子町から群馬県北橘村(当時)に越し、そこでの1年半の間に

小さな坐像と京都・秋篠寺の伎芸天と掛け仏、そして阿修羅像。

思い出せば器より、せっせと仏像作りに勤しんでいたわけで、

まさか、五体目でこの三面六臂に挑んでいたとは、と。

今から22年前。若さゆえでしょうか…。

 

 

この阿修羅像誕生にも、実は秘話がございます。

彼の体躯は、なぜ? と思うくらい華奢ですよね。

1,230度の業火に耐えられるかは、当時の、まさに未体験ゾーン。

しかし阿修羅の脚は、細く長くあるべしと、

見て安心触って安心サイズにアレンジいたしました。

と、試行錯誤で仕上げたものの、

果たして上体の三面六臂の重さに耐えてくれるか、そこが問題。

で、その不安を少しでも小さくするべく、窯庫内の壁側に顔を向かせました。

倒れても、その角度を小さくするためにです。

 

本焼き窯の蓋を閉じる時、思わず手を合わせて拝みましたです。

まだ、般若心経を覚えていない時で、覚えたのはその結果が出た後のことでした。

 

 

記事が長くなりそうなので、秘話は次回に持ち越します。

私に摩訶不思議なことが起きたのですが、

実際それが起きたのは、完成後1年経ってからでした…。

 

ありそうでなさそうな、本当に起きたお話ですよ。

あ、怖いお話ではございませんわよ。^ ^

 

 

何でしょね…。