民主主義は「多数決」ではない
本来の民主主義とは何か
「民主主義とは多数決で決めることだ」。
日本では、このように理解されていることが非常に多いように思います。学校教育でも、話し合いの最後は多数決で決めるという形で説明されることが多く、その結果「民主主義=多数決」というイメージが広がりました。
しかし、政治思想の観点から言えば、この理解は本質を捉えているとは言えません。多数決は民主主義の手段であって、民主主義そのものではないからです。
民主主義の原理は「国民主権」
民主主義の根本にあるのは国民主権という考え方です。
国家の権力は誰のものなのか。
それは王でも貴族でもなく、国民自身にあるという思想です。
この考え方は社会契約論によって体系化されました。代表的な思想家には、社会の意思を「一般意志」として捉えた
ジャン=ジャック・ルソー
などがいます。
つまり民主主義とは、
「主権者である国民の意思に基づいて政治が行われる体制」
なのです。
民主主義の理想は「話し合いによる合意」
本来の民主主義は、単に票の数で決めることではありません。
まず重要なのは**議論(熟議)**です。
市民や代表者が互いに理由を示しながら議論し、
可能な限り共通の理解や合意を探っていく。
この考え方は、いわゆる「熟議民主主義」と呼ばれ、
現代の政治哲学では重要な概念になっています。
代表的な理論家には
ユルゲン・ハーバーマス
などがいます。
この観点から見ると、民主主義の理想形は
話し合いによる合意(コンセンサス)
に近いものです。
なぜ多数決が必要になるのか
しかし現実の社会では、人々の価値観や利害は多様です。
すべての人が完全に同意する決定を作ることは、ほとんど不可能です。
そこで最後の手段として用いられるのが多数決です。
つまり民主主義の構造は本来、
-
まず議論する
-
合意を目指す
-
どうしても一致しない場合に多数決で決める
という順序になっています。
多数決は、あくまで決定不能を避けるための技術にすぎません。
多数決だけでは民主主義は成立しない
もし議論を省いて多数決だけで政治が行われれば、
それは民主主義というよりも「多数派の支配」になってしまいます。
19世紀の政治思想家
アレクシ・ド・トクヴィル
は、この危険を「多数者の専制」と呼びました。
多数が常に正しいとは限らない。
だからこそ民主主義には、
-
憲法による権力制限
-
基本的人権の保障
-
少数派の尊重
といった仕組みが必要なのです。
民主主義とは「話し合いの政治」
民主主義を一言で言うならば、
主権者である国民が、議論を通じて政治を決めていく仕組み
です。
多数決はそのための最後の手段に過ぎません。
したがって
民主主義=多数決
ではなく、
民主主義=国民主権+熟議+必要に応じた多数決
という理解のほうが、本来の姿に近いと言えるでしょう。
民主主義とは、単に数を競う政治ではありません。
それは本来、話し合いを中心とする政治の理念なのです。
